2013年8月16日金曜日

終戦の日②;靖国の合祀問題

戦没者の方々に哀悼と感謝を。


靖国神社の合祀問題と言えば、「A級戦犯合祀問題」が一般的だ。
反日国やサヨクの主張では、A級戦犯のような最重要の悪人を英霊として祀るだなんて言語道断、ということなのだろうが。

言いがかりもいいところである。


(1)A級戦犯のAは、B級・C級よりも悪いことをしたということを表現しているのではない。

幽遊白書の妖怪のランク付けなど、級と言うと質の良さ悪さを表現していると考えがちだが。
この場合の級は、学校のクラス(学級)に用いる場合の方が意味合い的には近い。
金八先生の3年B組が問題児ばかりのクラスであるからと言って、A組は優等生ばかりだとか、C組はB組以上の問題児が集まっている、なんてことはないというのは直感的にわかるだろう。
実際、他の翻訳では級ではなく「a項、b項、c項」ともされている。
単にA級と言ったほうが悪いイメージを植え付けやすいという、誰かさんによるイメージ戦略かもしれない。

では、AやBやCといった戦争犯罪は、具体的にどのようなことを指すのか?



(2)各戦争犯罪の内容

第A項:平和に対する罪(戦争を起こしたこと)
第B項:戦争犯罪(戦争法規違反)
第C項:人道に対する罪(一般人に対する非人道的行為)


BとCは分かりやすい。
単にルール違反ということだ。
しかしそれを言ったら、米軍の日本本土爆撃はB級及びC級の戦争犯罪として充分な悪行なのだが。

問題の第A項。
平和に対する罪。
戦争を起こしたこと、それ自体が罪だというのだ。
当時、そんなルールはなかったにも関わらず。

ようは、勝者となったアメリカとしては、自分が正義で日本を悪だということにしたかった。
しかし、無条件降伏をした日本に対して、そのトップを裁いてやろうにも、首相の東條英機を始めとして裁けるような罪など犯していなかった。
だから、「戦争を起こしたこと自体が罪だ」と、いきなり新しい価値観を、決まりごとを作り出して、押し付けてきたわけだ。

このような「実行時に合法であった行為を、後から作られた方で禁止すること」を遡及法をといい、
これをあってはならないとする大原則が「法の不遡及」である。

例えば。
ある日突然、米を食べてはならないという法律が作られたとする。
法律で決まった以上は仕方ないと、それ以降口にしていなければ通常では犯罪にはならない。
しかし、「法律が作られる前に食べていただろう」と言って逮捕されたらどう思うだろう。
納得できるはずがない。

だからこそ、法の不遡及は守られなければならず、遡及法であるA級戦争犯罪など認められるわけにはいかないのだ。



(3)A級戦犯合祀は問題か?

A級戦犯合祀に否定的な人は、以上のような情報を知らないか、もしくはわかっていてやっている。
A級戦犯の合祀が問題であるはずがない。
彼らはありもしない罪で連合軍に裁かれた、被害者なのだ。
東條など、兵隊としてではないにせよ、日本のために戦争をして、その一連の流れの中で命を落とした。
ならば彼らを戦没者として数えることに何の矛盾も問題もないはずである。
(ただし、犯罪が正しく立証されているB級C級戦犯に関してはこの限りではないが)



(4)分祀しろと言うのなら・・・

靖国神社では幕末以降の戦没者を英霊として祀っている。
ここが少し問題をややこしくしているように感じられる。
戊辰戦争ならば単なる内戦であり、その戦没者は純粋に国に殉じた英霊と見ていいだろう。
しかし、日清戦争から大東亜戦争(太平洋戦争と日中戦争などを包括する用語として使ってます)では、日本側からすれば自衛のための戦争でも、チャイナ側からすれば侵略であるいう認識も理解できる。
戊辰戦争までの戦没者を祀る神社と、それ以降の戦没者を祀る神社とで分けてしまうというのも手かもしれないが・・・。
政教分離の原則から外れるかもしれないし、そこまで反日国家に譲歩してやる義理もないか。
何よりまとめられるものはまとまっている方が気持ちがいい、こうゲシュタルト心理学的に。


(5)靖国には戦犯の位牌があるニダ!

私は大学生の頃に一度だけ靖国を訪れたことがある。
9月の平日に行ったのだったと思うが、白人の観光客が多く、サヨクが喧しく騒いでいたという記憶がある。
時間がなく、鳥居をくぐって真っ直ぐ本殿へ行き、参拝してすぐに帰ってしまったので、資料館など細かいところまでは見れていない。
だが、ネットで話を聞く限り、位牌はないようだ。

ところで、靖国でなくとも護国神社は全国にある。
今年の春、政治家の間で靖国参拝がブームのようになっていた時期に合わせて、私も京都霊山護国神社へ参拝してきた。
ここは靖国神社よりも創建が古く、大東亜戦争よりも戊辰戦争の戦没者の比重が高い。
ただし、東京裁判で日本を擁護したパール判事の碑や、慰霊碑などはある。

さて、この京都霊山護国神社。
神社と言っても、戦没者の墓地が併設されている。
神仏分離が行われる過渡期に作られたからだろうか?その辺はよくわからないが。
目玉は坂本龍馬と中岡慎太郎の墓で、他にも木戸孝允などの墓もある。
更には池田屋事件で殺された維新志士の墓なども。
池田屋の志士と言うと、京都を焼こうとしていたとんでもない連中という印象だが、勝てば官軍・勝ったから英霊ということだろうか。
彼らの墓が京の町並を見渡すように並べられている光景は、どこか釈然としないものがある。
(なお、京都大火計画は幕府側の捏造という説もある模様)

また、墓地への入口には募金箱があり、外国の紙幣・硬貨が多く納められていた。
私が行った時には見かけなかったが、靖国同様、参拝に訪れる外国人も多いということだろうか。
結局のところ、難癖をつけているのは中国と韓国ばかりで、それ以外の国は無関心・むしろ好意的と見るのが妥当なのだろう。


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