2013年8月28日水曜日

規制の弊害:某大学の小火事件

前回のブログで、五山の送り火を見に行ったことを書きました。
その時は「大文字」と、「妙法」の「法」の字だけ見ることができました。
それに因んで、今回は法や規制の問題について書こうと思います。


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そもそも「法」とは何ぞや?
ある社会(国や村、最小で家族だろうか)の中で、その社会システムを安定させるための決まりごと、といったところだろうか。


wikiには以下のように書かれている。
法(ほう、英: law)とは、道徳などと区別される社会規範の一種である。一般的にイメージされる法の属性としては、一定の行為を命令・禁止・授権すること、違反したときに強制的な制裁(刑罰、損害賠償など)が課せられること、裁判で適用される規範として機能することなどがあげられる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_(%E6%B3%95%E5%AD%A6)


「道徳とは区別される社会的規範」・・・。
高校の倫理の教科書やチャイナ史などで、【孟子の性善説・徳治主義】荀子の性悪説・法治主義】について学んだことがある。
古代のチャイナには、国家や社会秩序を維持する規範として、礼、楽、刑(法)、兵(軍事)があり、孟子らは礼・楽を、荀子らは刑・兵を重んじた(wiki「律令」より)。

つまり、道徳を強化すれば良い社会になると考えた脳みそお花畑が徳治主義であり、
そんなんじゃカオスになるわ( ゚Д゚)ヴォケ!!と、厳しく規制したのが法治主義といったところか。


サヨクの主張する「我々が武装しなければ外国も侵略してきません!」なんて話は徳治主義的な考え方だろうか。
世界征服を夢見る侵略国家が誕生したとすれば、まずは武装していない国から侵略すると思うが。
そもそも外国の侵略に限らず、どんなにモラル教育を重視させたとしても、他人なんて完全に信用できるものではない。
他人を無条件で信用するサヨクの方々は、ひょっとして戸締りとかしないのだろうか?
していたら笑ってやるところだが、たぶん戸締りしてるだろう。
むしろ常に防犯グッズとか持ち歩いてたり、いっそナイフまで携帯してそうなイメージだ(※個人の感想です)

極端な徳治主義は危険だ。
かといって、極端な法治主義もまた問題である。
チャイナ史上最初の統一王朝である秦などは、法を厳しくし過ぎたせいで崩壊したそうだ。
何でもかんでも規制ばかりでは、民の不満もたまろうというもの。
何事も程々が一番である。



そんな規制に関する話題で、少し前に身近なところで事件があったのでご紹介。

かつて私が所属していた大学(の別キャンパス)の門前で、小火があったそうだ。
原因はタバコの不始末。
これに対し大学側は、「キャンパス内全面禁煙を行っている我が大学でこのような事件が起こったことは大変遺憾」といったようなコメントを出していた。


さて、この大学のキャンパス内喫煙事情について、ここで時系列順に紹介したい(ただし私の通っていたキャンパスの話である)。

屋内での喫煙事情についてまでは知らないが、数年程前まではキャンパス内の至るところに喫煙場所があった。
ほとんどの建物の入口や脇の方に、ベンチと灰皿が設置され、休憩時間などには多くの学生や教員が利用していた。

しかしやがて、社会が喫煙者に対して厳しくなると、大学側も動き出した。
数年間かけての、段階的なキャンパス内喫煙の禁止である。

まずは、屋外にあった全ての喫煙場所が撤去された。
そしてキャンパス内にたったの2箇所だけ、すし詰めすれば十数人くらいがやっと入るような喫煙小屋が設置された。

ここで起きた問題は2つ。
教室から喫煙小屋までの距離と、喫煙小屋の狭さだ。

それなりに広い大学のキャンパス。
昼休みや授業の空きコマならまだしも、10分間の休憩時間では圧倒的に時間が不足している。
どこの教室にいても往復するくらいの距離に設置されてはいたが、遠い教室からではタバコを吸う時間まではないだろう。

そして何より狭さ。
通勤ラッシュ時の満員電車とまではいかないが、よく火傷しないもんだと思うくらいのギュウギュウ詰め。
そして、それでもスペースが足りていない。
中にいる人が出てくるまで外で待っていたり、もう小屋の周囲で吸っていたり。

そんな状況なので、いくらかの学生は大学の敷地からギリギリ出た辺りで喫煙をするようになった。
ただし大学側もそれを放置せず、灰皿を持った警備員を巡回させ、見つけたら喫煙を止めるよう注意させていた。


喫煙小屋設置から数年。
大学は当初の予定通り、喫煙小屋の使用を禁止した。

そしてタバコの不始末により、門の前で小火が起こった。


正直、起こるべくして起こったとしか言い様がない。
いくら大学側がキャンパス内で喫煙して欲しくなくても、喫煙所を奪っても。
喫煙者が大学からいなくなるわけではないのだ。

そして喫煙者は、ある程度の時間間隔でタバコを吸いたくなる。
どうしても吸いたくなった時、喫煙所が近くになかったらどうするか?
喫煙が許されるか許されないかのボーダーラインまで足を運び、急いで吸って急いで始末するしかない。
(勿論、屋外のタバコの不始末は携帯灰皿を使わない喫煙者は悪いのだが)


結局のところ、大学側が先々のことまで、「喫煙を規制したらどのような弊害が出るか?」ということまで考慮していなかったことが問題にある
少し考えれば分かることだと思うのだが。

規制する側はたぶん、自分の正義を疑っていないのではないだろうか。
「問題のある行為を規制する、この規制は正しい、だから弊害なんて知らない」
そんなことでは、あるひとつの問題を解決できたところで、別の問題が発生するだけだ。

自分たちの行為によって引き起こされるであろうと予測される結果。
バタフライ効果まで考えろとは、勿論言わないが。
もう少し、考えてみて欲しい。


因みに、私もかつて喫煙者でしたが、民主党政権下のたばこ増税を期にやめました。
ありがとう民主党。

2013年8月21日水曜日

五山の送り火:混雑の実態と報道

8月16日。京都では五山の送り火が行われた。
朝日新聞によれば、京都府警の調べで8万人が送り火を眺めていたとのこと。
http://www.asahi.com/national/update/0816/OSK201308160116.html


……たったの8万人?少なすぎないか?
競馬で言えば並のG1の時の来場者数、サッカーで言えば全盛期のアルビレックスの観客数2試合分だ。

どのようにカウントしたのかは知らないが、おそらく市内の複数地点に数える人を置いたのではないだろうか
路地や屋内、走行中の車内などから眺めていた人は対象外になっていそうだ。
何せ、五山の複数を眺められるスポットは限られていても、一文字一文字は京都市内の至るところで見ることができる。
つまり、広い範囲に人が分散するのだ。
それらの人全てをカウントするのは不可能だろうとは思うが。

「広い京都市内で、見ているのはたったの8万人」

このような報道の仕方では、事情に詳しくない観光客などはその混雑を甘く見積もってしまう可能性がある。



私は今年、京阪電車の出町柳駅から今出川通を東へ歩き、東大路通との交差点で大文字を眺めた。
20時点火に対し、出町柳駅到着がその20分程前。
改札はかなり混雑し、出るまでに(正確に測ったわけではないが)5分近くかかった。

出町柳より東の今出川通は、ごった返すと言う程には及ばないものの、私同様に東へ歩く人、または沿道に佇む人が多く見られた。
特に東大路通との交差点は、大文字が建物などに遮られることなくはっきりと見える上、やや広いスペースもあるために、結構な人口密度となっていた。
そのスポットには次々と人がやって来てはいたが、暫く眺めた後は去っていく人がほとんどのため回転率は良いようで、ギュウギュウ詰めになるようなことはなく、人垣の隙間を縫うように移動することも可能。
しかし、通算ではこのスポットだけでも数百人は来ていたのではないだろうか。


大文字を見た後は、「妙法」を見るために北西へ歩いた。
まず東大路通を暫く北上し、細い路地を通って高野川へ出た。
この間は、見かけた人は50人前後といったところか。
常に送り火目当ての誰かは視界に入っていたが、大勢はいなかった。

しかし、「法」の字がよく見える高野川の橋は大混雑だった。
完全にごった返していた。
前を歩く人に従って、並んでゆっくりとしか進めない。
最も、流れてはいただけマシかもしれない。
駅に近い葵橋の方が混雑していただろうと思う(そちらには行ったことがないのだが)


送り火が消えて、21時頃。
出町柳駅周辺に戻ってくると、多くの飲食店では店の外まで行列ができている光景が見られた。
私は駅から少し離れた小さなラーメン屋に入ったが、幸い半分ほどの席が空いていた。



まとめ。

五山の送り火は結構混む。
特に絶好スポットやその周辺は大混雑になる(去年は船岡山に登ったが、すごい混雑だった)
バスや電車の交通機関、飲食店などもかなり混む。
「京都市で8万人」などという数字に誤魔化され、混雑を甘く見るべきではない。

そしてマスゴミも、その辺も伝わる報道をするように心掛けて欲しいものだ。
政治の話題は余計な拡大解釈するくせに、社としてどうでもいい情報は上から下へただ流すだけ。
それで読者に誤解を生ませてしまうような情報は、最初から流さない方がマシというものだ。



2013年8月16日金曜日

終戦の日②;靖国の合祀問題

戦没者の方々に哀悼と感謝を。


靖国神社の合祀問題と言えば、「A級戦犯合祀問題」が一般的だ。
反日国やサヨクの主張では、A級戦犯のような最重要の悪人を英霊として祀るだなんて言語道断、ということなのだろうが。

言いがかりもいいところである。


(1)A級戦犯のAは、B級・C級よりも悪いことをしたということを表現しているのではない。

幽遊白書の妖怪のランク付けなど、級と言うと質の良さ悪さを表現していると考えがちだが。
この場合の級は、学校のクラス(学級)に用いる場合の方が意味合い的には近い。
金八先生の3年B組が問題児ばかりのクラスであるからと言って、A組は優等生ばかりだとか、C組はB組以上の問題児が集まっている、なんてことはないというのは直感的にわかるだろう。
実際、他の翻訳では級ではなく「a項、b項、c項」ともされている。
単にA級と言ったほうが悪いイメージを植え付けやすいという、誰かさんによるイメージ戦略かもしれない。

では、AやBやCといった戦争犯罪は、具体的にどのようなことを指すのか?



(2)各戦争犯罪の内容

第A項:平和に対する罪(戦争を起こしたこと)
第B項:戦争犯罪(戦争法規違反)
第C項:人道に対する罪(一般人に対する非人道的行為)


BとCは分かりやすい。
単にルール違反ということだ。
しかしそれを言ったら、米軍の日本本土爆撃はB級及びC級の戦争犯罪として充分な悪行なのだが。

問題の第A項。
平和に対する罪。
戦争を起こしたこと、それ自体が罪だというのだ。
当時、そんなルールはなかったにも関わらず。

ようは、勝者となったアメリカとしては、自分が正義で日本を悪だということにしたかった。
しかし、無条件降伏をした日本に対して、そのトップを裁いてやろうにも、首相の東條英機を始めとして裁けるような罪など犯していなかった。
だから、「戦争を起こしたこと自体が罪だ」と、いきなり新しい価値観を、決まりごとを作り出して、押し付けてきたわけだ。

このような「実行時に合法であった行為を、後から作られた方で禁止すること」を遡及法をといい、
これをあってはならないとする大原則が「法の不遡及」である。

例えば。
ある日突然、米を食べてはならないという法律が作られたとする。
法律で決まった以上は仕方ないと、それ以降口にしていなければ通常では犯罪にはならない。
しかし、「法律が作られる前に食べていただろう」と言って逮捕されたらどう思うだろう。
納得できるはずがない。

だからこそ、法の不遡及は守られなければならず、遡及法であるA級戦争犯罪など認められるわけにはいかないのだ。



(3)A級戦犯合祀は問題か?

A級戦犯合祀に否定的な人は、以上のような情報を知らないか、もしくはわかっていてやっている。
A級戦犯の合祀が問題であるはずがない。
彼らはありもしない罪で連合軍に裁かれた、被害者なのだ。
東條など、兵隊としてではないにせよ、日本のために戦争をして、その一連の流れの中で命を落とした。
ならば彼らを戦没者として数えることに何の矛盾も問題もないはずである。
(ただし、犯罪が正しく立証されているB級C級戦犯に関してはこの限りではないが)



(4)分祀しろと言うのなら・・・

靖国神社では幕末以降の戦没者を英霊として祀っている。
ここが少し問題をややこしくしているように感じられる。
戊辰戦争ならば単なる内戦であり、その戦没者は純粋に国に殉じた英霊と見ていいだろう。
しかし、日清戦争から大東亜戦争(太平洋戦争と日中戦争などを包括する用語として使ってます)では、日本側からすれば自衛のための戦争でも、チャイナ側からすれば侵略であるいう認識も理解できる。
戊辰戦争までの戦没者を祀る神社と、それ以降の戦没者を祀る神社とで分けてしまうというのも手かもしれないが・・・。
政教分離の原則から外れるかもしれないし、そこまで反日国家に譲歩してやる義理もないか。
何よりまとめられるものはまとまっている方が気持ちがいい、こうゲシュタルト心理学的に。


(5)靖国には戦犯の位牌があるニダ!

私は大学生の頃に一度だけ靖国を訪れたことがある。
9月の平日に行ったのだったと思うが、白人の観光客が多く、サヨクが喧しく騒いでいたという記憶がある。
時間がなく、鳥居をくぐって真っ直ぐ本殿へ行き、参拝してすぐに帰ってしまったので、資料館など細かいところまでは見れていない。
だが、ネットで話を聞く限り、位牌はないようだ。

ところで、靖国でなくとも護国神社は全国にある。
今年の春、政治家の間で靖国参拝がブームのようになっていた時期に合わせて、私も京都霊山護国神社へ参拝してきた。
ここは靖国神社よりも創建が古く、大東亜戦争よりも戊辰戦争の戦没者の比重が高い。
ただし、東京裁判で日本を擁護したパール判事の碑や、慰霊碑などはある。

さて、この京都霊山護国神社。
神社と言っても、戦没者の墓地が併設されている。
神仏分離が行われる過渡期に作られたからだろうか?その辺はよくわからないが。
目玉は坂本龍馬と中岡慎太郎の墓で、他にも木戸孝允などの墓もある。
更には池田屋事件で殺された維新志士の墓なども。
池田屋の志士と言うと、京都を焼こうとしていたとんでもない連中という印象だが、勝てば官軍・勝ったから英霊ということだろうか。
彼らの墓が京の町並を見渡すように並べられている光景は、どこか釈然としないものがある。
(なお、京都大火計画は幕府側の捏造という説もある模様)

また、墓地への入口には募金箱があり、外国の紙幣・硬貨が多く納められていた。
私が行った時には見かけなかったが、靖国同様、参拝に訪れる外国人も多いということだろうか。
結局のところ、難癖をつけているのは中国と韓国ばかりで、それ以外の国は無関心・むしろ好意的と見るのが妥当なのだろう。


2013年8月15日木曜日

終戦の日①;安倍首相の靖国神社参拝自重に関して

戦没者の方々に哀悼と感謝を。


さて、今年も国内外が無駄に騒がしくなる日がやってきた。
大事なことなので2回言うが、本当に無駄な騒ぎだ。

“終戦記念日”などという呼称もあるが、ただ戦争が終わったのではなく、日本が敗戦した日だ。
私が中学生の頃の社会科教師などは、「正確には”敗戦記念日”だ」などと言っていたが。
実際に日本人にとって喜ばしい日では決してなく、お祭り騒ぎなどするはずもない。
事実、幕末以降の戦没者を英霊として祀る靖国神社では、8月15日は祭りなどの特別な日ではなく、何の行事も行われていない。
だから我々日本国民は、ただ静かに、甲子園のサイレンに合わせでもして、黙祷を捧げていればいいのだ。

ところがだ。
反日国家である中国・韓国が政治家の靖国参拝にケチをつけてくる。
やれ侵略戦争を美化しているだの。
やれ過去の過ちを反省していないだの。

そして反日マスゴミも同調して騒ぎ出す。
やれアジアの人々の気持ちを蔑ろにしているだの。
やれ外交問題に発展するだの。

知ったことか。
悪騒ぎをしたい連中は勝手に騒いで、仲間内で悦に入っていればいい。
日本に迷惑さえかけなければ、お好きにどうぞというのだ。

ところが、実際には日本に迷惑がかかっているのが問題だ。
それと政治や近現代史に関心のない日本人が、マスゴミに扇動されることも悩みの種である。



今年は、安倍首相が終戦の日である今日、靖国神社を総理大臣として公式参拝するかどうかに注目された。
結果的には、玉串料を奉納するにとどめ、今年の参拝は見送ったようだ。

残念ではある。
前政権の時に安倍首相は靖国を参拝できなかったことを悔いていたようだし、また日本として反日国家の恫喝には譲歩しないという強い姿勢を見せて欲しかった。
更に言えば、正直な話、安倍首相が靖国参拝を強行した時に、反日国家やサヨクらがどのようなリアクションを見せてくれるのかを楽しみにしていたところも多大にある。
まぁ習近平やパククネの無能っぷりを見る限り、また別の機会に楽しめるであろうと期待しておくことにする。


私は安倍首相を応援しているので贔屓目もあるだろうが、今回の判断は妥当であったと考える。
その理由は、(1)中国・韓国への配慮,(2)8月15日である意義が薄い,からだ。


まず、(1)中国・韓国への配慮
無視してやればいいというのが個人的な意見であるが、一国の首相にとってはそう簡単な話ではあるまい。
いくら相手が歴史的事実を歪曲し、今なお日本の領土侵略を企む反日国家であったとしても。
残念ながら、少なくとも経済的観点から見れば完全に無視することはできまい。
中国へは日本の大企業が多くの店舗を進出させたり、工場を建設したりしている。
韓国へはサムスンなどに対し、大企業から中小企業まで機械部品を売りつけている。
日本は内需の強い国ではあるが、中国・韓国から一斉に企業が撤退をすることを余儀なくされたとすれば、その経済的損失は無視できないのではないだろうか。
ここはゆっくりと、政府と企業が足並みを揃えて徐々に、いずれは完全に中国・韓国から離れることが先決であるように思う。


そして、(2)8月15日である意義が薄い
既に述べたように、8月15日は靖国神社にとって特別な日ではない。
行くならば、靖国神社にとって最も重要な日である、春と秋の例大祭でいいという意見もある。
それは確かにその通りなのだが。

そもそも、8月15日と靖国神社の存在意義が異なっているというところにも問題があるように感じられる。

8月15日は、第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)が終戦した日だ。
一方、靖国神社は、幕末から明治維新にかけてと、それ以降の戦没者を祀る場所だ。

敢えて8月15日に参拝する場合、追悼すべき英霊は果たしてどの戦争までが含まれるのだろうか。

直近ならばアメリカとの太平洋戦争と日中戦争ということになる。
しかし、日本と西洋との戦いは、黒船来航の幕末から始まっていた。
日本の進むべき方向性をかけて戦った戊辰戦争。
植民地政策を進める西洋と渡り合うため、日本を守るため・・・力をつける必要があり、その中で勃発した日清戦争や日露戦争。
そして、その延長線としてやらなければならなくなった大東亜戦争。
これらは分割できない歴史の流れ、一連の出来事だ。
“平安時代”や“戦国時代”のように名前をつけるなら、“江戸時代”の次に来るのは“明治時代”ではなく、1945年8月15日までの“大日本帝国時代”で分けられるべきものと思う。

だから8月15日の参拝を、「靖国に祀られた全ての英霊を追悼するため」とするなら、やはり靖国神社の定めた例大祭に参拝するのが妥当ではないか。
そうではなく、「大東亜戦争の戦没者に限定する」というのであれば8月15日である理由になるが、何故戊辰・日清・日露戦争を無視するのかが分からない。
そうなると各戦争の終結日ごとに参拝する必要性が出てきそうなものだ。


納得がしやすそうな説明としては、「終戦の日は、戦争に明け暮れた旧時代が終わり、新時代の幕開けとなった日だから」といったところか。
これなら現代日本の礎となった英霊に対し、哀悼と感謝を捧げるという目的に適うだろう。

しかし、ならばそれこそ国内問題・国内行事の話であり、反日国家に難癖をつけられるようなことではないのだが。
結局のところ、日本政府は反日国家やサヨクの圧力に屈せず、毅然とした態度で自らの主張をしていくこと。
同時に、韓国のロビー活動によって騙されているアメリカやヨーロッパの国々に対して根回しをし、誤解を解いていくことが重要であろう。

ブログ開設;反マスゴミを掲げる

「ペンは剣よりも強し」

言論は武力に勝るという意味で、権力に抵抗するジャーナリズムの正義を表現する言葉として使われてきた。

しかし、日本のマスコミはこの正義を正しく執行してきたと言えるだろうか?

「自民叩きは社是」だと言ってのける新聞社を筆頭に、ターゲットのほんの些細なミスをあげつらい、ただ批判すること自体が目的化されているように感じられる。
所信表明演説で漢字を読み間違えた。それが首相の資質として重大な欠陥であると言うのか。
バカ高い値段のカツカレーを食べた。家計簿をつける主婦の愚痴か。

一方で、擁護する対象のネガティブな情報には報道しない自由を振りかざす。
「世襲が日本を駄目にした。世襲の私が言うんだから間違いない」「日本は日本人だけのものではない」、2009年の総選挙前に鳩山氏がこんな発言をしていたことを多くの国民は知っていただろうか。
見事政権交代を果たした鳩山氏は、「国というものがよくわからな」かったそうだ。
これを知っていてなお民主党に投票した者が、果たしてどれだけいただろう。
自民叩きなどやっている場合か、もっと他に報道すべきことがあったはずだ。


韓国や中国に対してもそうだ。
韓流ブームをきっかけに韓国が身近な存在になり、その本性を知った多くの日本人が、嫌韓へと移行することとなった。
しかし日本のマスコミは、韓国を良い方に歪曲・捏造した情報は伝えても、その逆はない。
それどころか、悪い面は徹底的にひた隠し、嫌韓的発言・行動をしようものなら「ネトウヨによるヘイトスピーチ」とバッシングする。
「ネトウヨ」と、自分たちが言っていることもまたヘイトスピーチであることに目を瞑り、国民を欺きながら。


これまで、このようなマスコミの異常性はあまり注目されてこなかった。
それは、知識人である記者への信頼と、自分たちを欺くはずがないと彼らの善性を無根拠に信用していたからである。
例え報道内容を誤りだと反論する者が出てきたとしても、マスコミがその存在を隠してしまえば
、その声は民衆には届かなかった。

しかし近年、マスコミの信頼性が大きく揺らいでいる。
インターネットの普及によって、マスコミの報道を民衆が監視するシステムが作られてきたためだ。
2ちゃんねるで、まとめブログで、SNSで。
マスコミの誤った報道は、監視者たる視聴者・購読者によって即座に指摘され、拡散されるようになった。
よく言われる「若者の新聞離れ」は、若者が活字を読まなくなったのではなく、インターネットに慣れ親しんだためにマスコミへの不信感を抱いていることも大きな要因だと考えられる。


このように、現在マスコミの偏向報道は大きく問題視されつつある。

もっとも、私は偏向報道それ自体に問題があるとは考えていない。

マスコミとは報道機関であり、言論機関だ。
報道は事実に基づき中立であることが求められるかもしれないが、言論はその限りではないように思う。
ある報道に対して、記者が何を感じ、何を考え、何を伝えようと思ったのか――それを書き綴ったものが記事だ。
であれば、記者や新聞社の思想によって一定の方向に主張が偏ることは、むしろ自然であると言えよう。


問題は、日本のマスコミの多くが「反日」に偏っていることだ。
日本人が書いて、日本人が読む、日本の新聞(マスコミ)であるにも関わらず、である。

何故、日本人が日本を傷つけ貶めるのか。
何故、日本のマスコミはそのような反日マスゴミばかりなのか。



「ペンは剣よりも強し」

日本の法律には銃刀法違反があり、国際的にも核拡散防止条約のように強すぎる武力はその誤った使用を防ぐため規制されている。
ならば、武力よりも強いという言論機関には、一層の抑止力が必要ではないだろうか。

言論の自由は、何をやっても許される免罪符ではない。
剣で斬りつけられ負った傷はいずれ癒えるかもしれないが、言論によって不当に負わされた心の傷や失う社会的立場は、時に剣よりも深く傷つける。
剣で人は斬り殺されるかもしれないが、言論は死者の尊厳すらも傷つける。

今のマスゴミに、果たしてこのような危険物を所持する資格があると言えるだろうか。




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当ブログは、ニュース記事やまとめサイトなどを元に、私の意見や感想などを書いていきます。
基本的な立場は「アンチ反日」。
マスゴミや売国政治家、ブサヨ、反日国家などに関する出来事を取り上げていく予定です。