安保関連法案の参院での審議がようやく打ち切られ、ほぼ全会一致(笑)で可決した。
与党が過半数を占めている以上、民主党が何らかの方法で自民党と交渉をしなければ、可決するのは分かりきっていたことだ。
自民党はよくもまぁ長々と付き合ってやったものである。
政権時に21回も強行採決をやっていた民主党なら、もっと早く審議を終わらせていただろう。
何の法案の時だったか、自民党の議員が普通に質問か何か発言をしようとしていたのに、無視して採決を始めた手際の良さには呆れ果てたのを覚えている。
民主党が自民党の話を聞く気がないのは、与党でも野党でも変わらない。
集団的自衛権の必要性は、岡田代表も野田元首相も認めているのだ。
にもかかわらず民主党が「戦争法案」と呼んで反対しているのは、単に自民党に反発したいだけに過ぎない。
議論において、何にでも反対する人間というのは、議論を深める上で一定の価値がある。
しかし、ただ反対するだけで議論をする気のない民主党には、国会に参加する資格がない。
民主党の批判を始めたらキリがない。
福山哲郎議員は「暴力的な採決」と批難したが、暴力的に採決妨害をしていた連中が何を言うかという話であり、帰化人である彼がこういうことをしていれば敵国の工作員とみなされるのもやむ無しである・・・など。
キリがないので切り上げて、改めて今回の安保関連法案の必要性について考えてみたい。
以前も述べたが、野党が指摘しているように、今法案に対する政府の説明は十分とは言えない。
結局、何故必要なのか、今必要なものなのかがはっきりしないのだ。
おそらく、必要な理由というのは複合的なモノであり、理由をひとつひとつ説明したのでは、逆に納得できなくなるものなのかもしれない。
「全体は部分の総和よりも大きい」・・・ゲシュタルト心理学の言葉である。
私が安保関連法案=集団的自衛権の容認について、その必要性をひとつ説明するとしたら。
「日本と密接な関係にある国を守ることは、日本を守ることにつながる」からである。
民主党の岡田代表は、北朝鮮が米国を狙って弾道ミサイルを発射した場合、日本は集団的自衛権を行使できない現行法制では撃墜することはできず、そのために法制を改める必要もないとの認識を示した。
しかし、実際に米国が核攻撃でも受けたらどうなるだろう?
多くの米国人が犠牲になる、だけではない。
工業地域や商業地域でも破壊されれば、経済的に大打撃を受ける。
それは直接、日本企業の工場などが破壊される事態となるかもしれない。
そうでなくても米国の株価は大暴落、リーマンショックどころではない世界恐慌に陥るのではないだろうか?
世界恐慌となれば、日本でも企業は次々に倒産し、失業率は跳ね上がり、自殺者も大量に出るだろう。
また、米国が世界の警察として機能しなくなれば、ロシア・中国・中東などが支配領域の拡大を図り、第三次世界大戦勃発の恐れもある。
そうなった時、手負いの米国と戦争アレルギーの日本で、ロシアや中国の脅威から国民の命と、財産と、尊厳を、守ることができるだろうか?
と、最悪すぎるケースを想定してみたが、いかがだろう?
さすがにそこまでの事態にはならないかもしれないが、しかし最悪のケースが起こりうる可能性を過小評価し、スーパー堤防を事業仕分けしたのが民主党であり、従来の堤防が決壊したのが鬼怒川である。
最悪すぎるケースを想定し、事前の準備と、事態が起こってしまった時にどのような対処ができるのかは決めておくべきであり、それができていなかったのが阪神大震災だった。
デモに参加した不倫は文化な人は、「個別的自衛権でも日本は守れる」と言った。
確かに暴力から守るだけなら可能だろう。
しかし、日本と密接な関係にある国、貿易でも軍事力でも、相手に何か大きく依存しているものがある国が攻撃を受けた時、その余波から日本を守ることまでは、個別的自衛権では不可能である。
現代の国家は、その一国だけで成立しているわけではない。
他の国々との関係性の中で成り立っているのだ。
それは奇しくもルーピー鳩山の言葉通り、「日本は日本人だけのものではない」と言える。
例えば、日本がなけれな成り立たない国、日本が打撃を受ければ最悪破綻してしまう国というものがあるはずだ
そして日本にとっての、相手が健在でないと成り立たなる国が米国なのだ。
米国のために、集団的自衛権で米国を守るのではない。
日本のために、集団的自衛権で米国を守らなければならないのだ。
自民党は、「日本を取り巻く安全保障環境は大きく変化した」と主張している。
私は当初、ソ連崩壊によって冷戦は終結し、地球滅亡へのカウントダウンは一時停止したように思えていた。
しかし、中東ではISISが台頭し、東アジアでは中国が経済発展を背景に軍事力を強め、ロシアはソ連崩壊の混乱から脱したのか、クリミアへと勢力を拡大した。
そして、今やミサイル発射のスイッチひとつで、他国の重要地点に大規模爆撃することが可能な時代だ。
反米勢力が充分な軍事力を持って散らばっている分、ソ連と二強状態だった冷戦時代よりも危険度は増していると言っても過言ではないだろう。
「安保関連法案を今国会で成立させる必要はあるのか?」とよく疑問視されるが、じゃあ来年以降にまた考えましょうとか言っていられるほど余裕があるとも思えない。
さて、今年は戦後70年。
地元紙・新潟日報は戦争に関する特集記事を連日書き続けた。
その中で、旧日本軍の兵隊だった人にインタビューをして、「自分たちは洗脳されていた」という記事を読んだ時に、私はこう思った。
戦時中の日本人が、戦争に向かうよう国に洗脳されていたと言うのなら。
戦後の日本人は、戦争をしないよう日教組ら左翼勢力に洗脳されている。
「戦争法案反対」、「日本を戦争する国にするな」
私も新潟駅で行われたデモを見物してきたが、いやはや、洗脳とは実に恐ろしい。
先日の中国の軍事パレード、及びそれに出席したロシアと韓国の大統領を見て分かるように、日本は決して安全な環境にあるわけではないのは明白だ。
日本が戦争をする気がなくても、周辺国家には関係のない話である。
日本へ侵攻するメリットがデメリットを上回り、その必要性さえあれば、いつだって日本は他国から攻撃を受け得るだろう。
その辺り、反対派は自分たちの思想や日本の立場だけで完結していて、他国がどう考え、
どう行動するかというところまで考えることができないのかもしれない。
「戦争に行きたくない」という主張からも、その目に映っているのは自分が戦場で苦しむ光景だけで、自衛をしなかったときの自分の姿(命・財産・尊厳を奪われる)や家族・知人がどうなるかということまでは想像ができないのだろうと感じる。
日本の反戦教育は歪んでいる。
反戦の思想を全否定するわけではない。
しかし、反戦教育をするきっかけとなった太平洋戦争は不幸すぎた。
都市空爆や戦地での玉砕攻撃など、その被害は世界史上の戦争の中でも相当に悲惨なものだったのではないか。
また、戦後のGHQによる統治が悪いものではなかったことも災いしている。
結果的に日本人は、戦争をすれば悲惨な被害を受け、いっそ降伏してしまえば丁重に扱ってもらえるとでも思い込んでしまっているように思える。
だが、次の敵は多人種の入り混じった自由の国・アメリカではなく、数千万人を粛清した経験のある中国・ロシアという軍事独裁国家であることを忘れてはならない。
安保反対派をのさばらせておくと、いざ敵が侵攻してきた時に自衛のための戦争すら放棄しかねない。
これは日本を崩壊へと導く危険思想である。
言論弾圧まではできないかもしれないが、彼らの主張の問題点をきちんと指摘して、洗脳される国民を増やさないようにしなけれなならない。
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