2014年7月4日金曜日

セク・・・ハラ・・・?

議会でのヤジ問題について。

えっ、「結婚しろ」とか「子ども産め」ってセクハラになるの?

  セクハラ=性的嫌がらせ=相手が嫌がってるのにエロいことをすること

基本的にこんな↑認識だったので、
そもそも【セクハラ】ってなんだっけ?
というのを調べてみました。wikiで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88

すると、【環境型セクハラ】というものの一例に、
  • 女性に対して結婚、出産のことを尋ねる
とありました。

なんと、本当にセクハラだったのか・・・。

しかし、一般的にイメージされるセクハラに比べれば、すごく下らないことだと思うんですが。
あまり拡大解釈させすぎると、深刻な問題も相対的に軽んじられかねないので。
あれもセクハラ、これもセクハラっていうのはどうかと思う。

なお、男女雇用機会均等法により、女性→男性 や 男性→男性 のようなケースもちゃんとセクハラとして認められるそうです。

男性が受けるセクハラの一例
  • 男性に対して結婚のことを尋ねる。
私も親戚とかからセクハラ受けてたわー。



ということで、一連のヤジがセクハラ発言として問題があった(社会的に問題があると規定されている)ということには納得しました。

だがしかし。

アラサー・アラフォーの独身女性議員が少子化問題について話をすれば、

「いや、まずは自分が結婚しろよ」

と、ツッコまれるのは当然でしょう。

これが、性病持ちだったり、外見が著しく劣っていたり、過去に男性関係でひどい失敗をしていたり・・・などだったら、「結婚しろよw」という発言は確かにひどい。
しかし、塩村・上西両議員は?

「私は少子化対策に強い関心を持っています! ですが自分は結婚しません、あえてね」

こんな人が少子化問題を訴えても何の説得力もありません。
まずは自分が結婚して、最低でも二人は子どもを産んで。
これからの日本人はかくあるべし、というのを示すのが筋ではないでしょうか。



しかし、何にしても。
別に大事にするような話題ではないと思うんですけどねぇ、これ・・・。

ヤジられた議員が、自分が目立ちたくってアピールしたとか。
フェミ団体がカモネギに食いついたとか。
自民党を叩く材料が手に入ったと、野党やマスゴミが大喜びしているだけなのではないかと。

第一次内閣では外堀が自滅していったので、その轍を踏ませたいという考えがあるのかな?
でも、当の本人は種なしカボチャだから、別にダメージにはならない気がする。




ついでに、私の性差別問題に関する持論。

私は男女の生物的・社会的役割の違いについて、きっちり差別化を図るべきという立場です。
男性にしかできないこと、女性にしかできないこと。
どちらの性別でもできるけれど、男性の方が向いていること、女性のほうが向いていること。
これらをきっちり分担した上で、両者の役割が共に尊いものだと認めること。
これが私の考える男女平等です。

フェミが言う「女性の社会進出!」とか、結局、昔から男が担ってきた役割の方が尊いものだと認めているようなものだと思うんですよね。
家事をこなして家庭を守り、育児をすることで次の世代に繋げていく。
この尊さを自分たちで否定していませんか?

そんな環境で、誰が子どもを産みたいと考えるでしょうか?

子育てをしやすい環境づくりを話し合う前に、社会にとってプラスになるように人の価値観を誘導する(悪く言えば洗脳する)ことを考えればいいのに。

2014年7月3日木曜日

集団的自衛権はあっていい

昨日、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。

集団的自衛権について、私は長らく「特に必要とは思わないけれど、反対ではない」という中途半端な立場だった。
公明党が主張してきたように、日本の安全は個別的自衛権の範囲内で保障される。
集団的自衛権が必要とされるのは日米同盟の関係上、つまりアメリカのご機嫌伺いという側面が強かろうと考えていたからだ。

ご機嫌伺いなどというと何やら卑屈に聞こえるが。
外交における同盟やら敵対やらは基本的に利害関係。
利があれば協力しあうし、利が無ければ何もしない。
だから、日本の安全を米軍に保障してもらう対価として、集団的自衛権が釣り合うものであるならば、その行使容認もやむなしと考えていた。


しかし。
現在の近隣諸国の情勢をよくよく考えてみれば、これまでの「消極的賛成」ではなく、むしろ「積極的賛成」へと意見が変わった。

情勢というのは、まず何と言ってもロシアによるクリミア編入である。
その是非については置いておくが、もしも同じようなことを日本がやられたとしたら?

これがただの仮定、杞憂であると言い切れない要因がある。
中国だ。

中国と日本には既に尖閣諸島を巡る諍いがあるが、中国の領土的野心は日本以外にも向いている。
今一番躍起になっているのは、南沙諸島の問題だ。
これが今後、大きな軍事衝突に発展したらどうなるだろう?
もし仮に戦争になり、しかも中国が勝ってしまったらどうなるだろう?

 次 は 日 本 と 開 戦 だ (?)


だから、今こそ集団的自衛権が必要なのだ。
ある国が日本と共通する敵から共通の目的で攻撃を受けた時、これを支援するのは日本の防衛のためになる。
平和を脅かす要因は、早い内に取り除いておくべきだ。

サヨクは発狂するような意見かもしれないが、常識的かつ冷静に、自分や家族、友人知人、その幸福を願うならば。
安易に「戦争反対」を叫ぶのは逆効果である。

勿論、戦争とは外交における最終手段、基本的には切ってはいけない札であることは認めよう。
しかし、弱腰や理想論に基づく戦争回避で得られるのは、結局はただの先延ばしに過ぎない。
先延ばし続けた結果、打つ手がないほど追い込まれ、滅ぼされるのを待つしかない段階になってから後悔しても遅いのだ。

サヨクは言う。
「子どもたち(子孫)が平和な世界で過ごせるようにするために、戦争が出来る国にしてはいけない」と。
何を莫迦なことを。
脅威を取り除かず問題を先延ばしにした結果、戦争で死ぬのは今の子どもたち、もしくはまだ生まれてきていない子孫たちだ。
今なら少数の犠牲で済んだものが、最悪、子孫の絶滅という結果になるかもしれないではないか。
結局は、自分さえ安全なら未来などどうでもいいのではないか?
口では綺麗事を言いつつも、本質的には保身しか考えていない。

先延ばしにして、笑い話で済むのは夏休みの宿題くらいのものだ。

ちょうど脅威がそこにあり、
ちょうど国際情勢が怪しくもあり、
ちょうど自衛権を見直せる政権が存在する。

さぁ。
いつやるか?