2015年6月30日火曜日

【心理学的に考えた】 韓国人は嘘つきか? ~従軍慰安婦・旭日旗問題~

「韓国人は日本人の671倍嘘つきである」

嫌韓ネタを扱っているサイトや本では、よく見かけるフレーズではないだろうか。
671倍の嘘をつく。・・・・・・ちょっと想像ができない。

ある日本人が1つ嘘をつく間に、ある韓国人は671個もの嘘をついているということだろうか?
それではもう韓国人の話には真実を挟む余地がなくなってしまう。

あるいは、日本人は671日に1回嘘をつくのに対し、韓国人は毎日1度嘘をついているという話か?
韓国では毎日がエイプリルフールで、日本では4月1日が2年に1回しか来ない。
エイプリルフールネタを楽しんでいる人たちには物足りなくなりそうだ。

いやいや、量ではなく質的な話かもしれない。
日本人のつく嘘の、671倍強力な嘘を韓国人はつくのだ。
・・・・・・何だそれ?

この話の元ネタは、2000年の日本と韓国における偽証罪の数が基準なのだそうだ。
2000年、韓国では1198人が偽証罪で起訴され、対する日本で起訴されたのは5人。
ここから人口差を考慮して計算すると、「韓国人は日本人の671倍嘘つき」という話ができあがる。
 →http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/3250/noriasa/k2.htm



日本人との比較は置いておくとして。
実際、韓国人のつく嘘の話はよく耳にする。
アイ・アム・ザパニーズ(海外で事件を起こしたら日本人だと名乗れ)」などは、既に嘘をつくことが韓国人の行動パターンに組み込まれてしまっている代表例だろう。

そして、韓国人の嘘として真っ先に思い浮かぶのが、自称・元従軍慰安婦の証言ではないだろうか。

ここで、自称・元従軍慰安婦による、明らかに事実と異なっている証言を挙げていきたい。
・・・・・・挙げていきたいが、面倒なので他にまとめて下さっているサイトなどを各自で探して参照して頂きたい。
拉致された状況やその時の年齢、下手をすれば生まれた年すら(?)間違っていたりするので、いちいち挙げているとキリがない。
終戦後も日本軍の従軍慰安婦をやっていたという証言などは、こっちの心が折れそうになる・・・。


気を取り直して。
私が注目したいのは、「ジープ」や「クリスマス」が出てくる証言だ。
「慰安婦」と合わせてググるとこちらのサイトが上に出てきたので、そこから引用すると。


>↓以下が、キム・ボットンと言う上の写真の右側の
>ニセ慰安婦の証言です。

>-----------------------
>故郷の『朝鮮の村にジープに乗った日本軍』がやってきて誘拐され、 >『日本軍のヘリコプター部隊』の基地に連れていかれ、 >『クリスマス休暇中の日本兵』にコキ使われるなど >『昭和23年まで』解放されませんでした
>日本兵には毎日のようにブーツで』けられるなどイジメられましたが
>日本兵たちは全員『8発も連射できるライフル』を持っているので、
>逃げたくても、とても逃げきれないと思いました。
>『ペニシリンを数週間ごとに』注射されて痛い注射を繰り返しうたれました
---------------------------
>日本軍ではないようニダ 



と、まぁ、ご覧のありさまである。
余りにもデタラメ過ぎて、こんな証言をする自称・元従軍慰安婦の言葉など一切信用できないと考えざるを得ない。
そして、「やっぱり韓国人は嘘つきなんだな」と確信を強めることになる。

それにしても自称・元従軍慰安婦は何故このような、調べたらすぐ分かる嘘をついたのだろうか?
同情さえ引いておけば細部の矛盾は気にせず、鵜呑みにしてくれるとでも考えたのだろうか?(韓国国内ならその通りかもしれない)
何も考えずに思うがまま適当なことを言っただけの、単なる馬鹿なのだろうか?


ここで、自称・元従軍慰安婦の証言を、「本人の記憶」という点に焦点を当て、心理学的に考えてみたい。
結論から言えば、「自称・元従軍慰安婦は嘘をついていない」という可能性があるのだ

――いや、上の例を見ただけでも、自称・元従軍慰安婦が詐欺師であるのは明白だ。
――客観的に考えて、自称・元従軍慰安婦が嘘をついていないなど考えられない。

と、思うだろうか。
しかし、事実と証言が食い違い、客観的に聞けば明らかに嘘だと感じたとしても、当人の主観的には真実である場合もある。

証言の情報源は、証言者自身の記憶だ
しかし、記憶は忘却するその時まで、体験や見聞きした情報を完全・完璧にそのままのカタチで保存できるものではない。
むしろ、容易に書き換えられていくものなのだ。


記憶の書き換えの研究では、何と言ってもLoftusが有名だ。
Loftusは自動車の衝突事故の映像を被験者に見せ、事故を起こした車がどれくらいのスピードを出していたと思うか尋ねた。
この時、Loftusはいくつかの被験者グループに対して、それぞれ異なった質問の仕方をしている。

「激突した時、車のスピードはどれくらいでしたか?」
「衝突した時、車のスピードはどれくらいでしたか?」
「ぶつかった時、車のスピードはどれくらいでしたか?」
「当たった時、車のスピードはどれくらいでしたか?」
「接触した時、車のスピードはどれくらいでしたか?」

すると、衝突の表現をより強い言葉を用いて質問されたグループほど、事故を起こした時のスピードが速かったと答える傾向にあった。
更に、「ガラスが割れるのを見ましたか?」と尋ねられると、「激突した」と表現されたグループは、「見た」と答える割合が他のグループの2倍になった。
しかし、実際に被験者が見た映像では、ガラスは割れていなかったのだ。

これ以外にもLoftusは質問時に用いた表現から受ける印象や、または誤った情報を与えることなどによって、人の記憶を書き換えることに成功している。
そして心理学の研究では、記憶が書き換えられるケースが他にいくつも見つかっているのだ。

・ 細部を忘却していたり所々忘れている部分がある時、また他人に説明することが難しいことなどを話す場合、他の記憶や知識などで補って、無意識に納得できるストーリーを作り上げる【作話】
・ 言われてみれば当然だという話は、話を聞く前から知っていてたと思い込む【後知恵バイアス】
・ 固定観念や対象について抱いている印象(偏見)などに影響されて、それに関する記憶が書き換えられる
・ 注目していない情報は記憶に残らず、注意によって記憶は編集される
・ 過去の態度や行動が、現在のものと一貫して同じだったように考える【一貫性バイアス】



それでは、自称・元従軍慰安婦が「ジープで拉致された」という証言について、心理学的に考えてみよう。

Q:拉致をした車は本当にジープだったのか?
 →軍隊の車というとジープが連想されやすい。しかし、旧日本軍はジープを使っていない。

Q:拉致されたのは本当に太平洋戦争の時だったのか?
 →朝鮮戦争やベトナム戦争の時ならば、ジープを使う軍隊がいたかもしれない。慰安婦という言葉は、旧日本軍との結び付きが強いため、実際は他の軍の慰安婦だったのを勘違いしているのかもしれない。

Q:そもそも本当に従軍していたのか?
 →韓国に限った話でもないが、貧しい家庭の女性が売春婦になることは多かっただろう(韓国は今でも多いようだが)。自分の売春婦としてのストーリーに、旧日本軍に強制連行された従軍慰安婦のストーリーを合体させてしまったのではないか?

Q:根本的な話として、売春はしていたの?
 →そこから間違っていたのだとしたら、心理学の手には負えない。精神医学へどうぞ。


自称・元従軍慰安婦の証言を、日本が物証や状況証拠を用いて反論するとき。
韓国人は「被害者本人が言っているんだから間違いないニダ!」と言い返す。
しかし、被害者当人であろうが加害者であろうが、あるいは第三者であろうが、証言の情報源が記憶である以上、絶対的な信用を置くことはできないのだ。
ただし、自称・元従軍慰安婦の証言が事実と食い違う間違いだらけだったからといって、それで自称・元従軍慰安婦=詐欺師だと断言することもできない。
同時に、証言のほとんどがデタラメだということが、証言全てが間違っている証明にもならない。

結局、自称・元従軍慰安婦の証言に対して、確実に言えることはただひとつ。
証言は、アテにならないのだ。




一方その頃、韓国人は民族総出で新たな記憶の改竄に乗り出していた。
旭日旗問題である。

旭日旗は大日本帝国が使用した軍旗であり、それはつまり軍国主義の象徴であり、ナチスのハーケンクロイツと同等のもので、韓国人は見るだけで不快な想いをする。
だから旭日旗のデザインは使用してはいけないと、日本や韓国国内、更に欧米にまで働きかけている。

根本的な突っ込みどころとして、旭日旗が軍旗なら、ハーケンクロイツはナチス党の党旗だ。
ナチス・ドイツの軍旗は黒十字で、当時国防軍が使用していたが、これはプロイセンの時代から現在に至るまで使われている。
日本で、ドイツにおけるナチス党に対応するものは何だろう・・・大政翼賛会?(よく知らないが)
そもそもぽっと出のヒトラーが独裁していたナチス・ドイツと、1500年かそれ以上の歴史がある天皇家が君臨してきた日本とでは、全く事情が違うと思うのだが。

と、まぁ、ボロがいっぱい出てくるので呆れるばかりだが、それもそのはず。
韓国人の旭日旗アレルギーは、ホンの数年前に、しかも言い逃れのためにでっち上げられたものである可能性が極めて高い。

旭日旗問題の流れはこうだ。

2011年、サッカーのアジアカップで行われた日韓戦で、ゴールを決めたキ・ソンヨンがスタンドに向かって猿の真似をするパフォーマンス(日本人は猿だという人種差別)


問題視されたことで、「旭日旗を見てカッとなってやった」と言い逃れ。
ただし会場に旭日旗は確認できず、試合会場までの道中で見たのか、そもそも本当にどこかで旭日旗を見たのか、見たとして本当にカッとなったのかは不明。本人ですら、もう分からないかもしれない。



2012年、同じくサッカー日韓戦、ロンドン五輪3位決定戦にて。
試合に勝利した韓国選手のパク・ジョンウが「独島は我が領土」とハングルで書かれたプレートを掲げて走る。
オリンピックで政治問題を主張することはタブーなので騒動に。

韓国、「日本も旭日旗やそのデザインを使っている、あれは政治的主張ではないニカ!?」と主張。

旭日旗狩りへ・・・


おそらく彼らの頭の中では、「昔から旭日旗を見ると気分が悪かったニダ!」というストーリーが出来上がっているのだろう。
それが本当なら、少なくとも韓国国内には旭日デザインを用いたものは無さそうなものだが。
このほど、韓国釜山市民公園にある歴史館の天井が旭日旗デザインだったため、変更することになったらしい(http://www.wara2ch.com/archives/8231376.html)。
調べたところ、公園自体はほんの1年前につくられたばかりとのこと。
時系列を見れば、韓国の旭日旗アレルギーは明らかに旧日本軍とは関係ない。
しかし、自分たちが納得できるストーリーを組み立てるために、彼らはいつだって必死である。

ストーリーを作るのが好きな割りには、ノーベル文学賞を取れないのが不思議だ。
いや逆に、こんな矛盾にあふれたストーリーばかり作っているから、永遠に手が届かないのかもしれない。


参考文献
デイヴィッド・マクレイニー (2011) 思考のトリック 脳があなたをダマす48のやり方 二見書房

2015年2月11日水曜日

日韓友好は心理学的にありえない

先週、こんな記事を目にした。

『魚住昭氏「あふれる嫌韓嫌中ヘイト本、韓国には反日本がないのに…ヘイト本が消える日はいつやって来るのだろう」』
http://www.wara2ch.com/archives/8041639.html


いやいや、嘘を吐くなよ・・・。
日本の嫌韓本は『マンガ嫌韓流』の大ヒットに始まるわけだが、それに対抗して韓国は『マンガ嫌日流』を出版している(しかも2種類)。
それ以前に、国が指定している教科書からして日本に対するヘイト本ではないか。

私は韓国の本屋に行ったことがないので実態は知らないが、元記事の筆者の話をとりあえず信じるとしよう。
韓国には(あまり)反日本を置いていないのかもしれない。
しかし、それが「韓国は反日本を作らない」ということを必ずしも意味するわけではない。
単純に考えて、「本屋が売れないと判断したから置いていない」だけかもしれないのだ。

では、何故韓国の本屋は反日本を置かない(買ってもらえない)のか。

ひとつは娯楽性に乏しいこと。
韓国は知れば知るほど嫌いになる国だが、同時に笑いも提供してくれる(笑韓)。
残念ながら(?)、日本には笑いのタネにできるような側面はそう多くない。
本屋で日本に関する本のコーナーを作ろうとすれば、日本から学ぶべき点について書かれた真面目な本に自然と偏ってしまうのだろう。
反対に、日本の韓国コーナーに嫌韓本が多いのは、韓国から学ぶべきものがなく、ドラマや音楽に関する本もオワコンとなって淘汰された結果だろう。

そしてもうひとつは、日本における嫌韓と違い、韓国では反日を目にする機会にあふれているからだ。
韓国人は教育の場面で教科書(ヘイト本)や教師(ヘイトスピーカー)から反日を学ぶ。
また、韓国の新聞や大統領のスピーチなどが、既に日本に対するヘイトスピーチである。
「旧日本軍が韓国の若い女性を強制連行して性奴隷にした」という主張など、根拠がなくなった今、ヘイトスピーチの最たるものだろう。
つまり、韓国に反日本がないのだとすれば、それはわざわざ本として出版するまでもない(需要もない)から。
もしくは、実際には反日本はあるが、それは普通の本の中にヘイトスピーチが自然と混じっているだけなのではないかと考えられる。



韓国人は教育や政治、人との関わりといった社会生活の中で、自然と反日が身につくようになっている。
反日行動には、「日本を嫌う」という広義の意味だけではなく、「慰安婦ハルモニに同情する」とか「併合時代を悔しいと思う」といったものも含まれよう。
今回は心理学的な視点から、韓国における反日と日本における嫌韓、そして日韓関係について考えてみたい。


1. 反日を学習する韓国人

韓国人はまず、学校教育において反日を学ぶ。
教科書自体が日本に対して批判的に記述されているという面もあるが、
教師によってはより積極的に反日を教えこんでいるケースもあるようだ。
子どもたちが描いた反日絵画展は、その最たるものだろう。
http://shiratorijun.blog4.fc2.com/blog-entry-22.html

学校の外に出ても、メディアの報道や政治家の発言、あちこちで反日が飛び交っている。
ノムたん政権時に作られた、いわゆる親日罪(日韓併合時に親日だった韓国人とその子孫に対して、その財産を没収する)では、反日が法にまで影響を及ぼしていることを示している。

ある集団において、個人がそれに従うことを期待されている行動や判断の基準のことを、「社会的規範」と言い、人は基本的に規範に従おうとする。
同じ集団に属する人々は、他の人も自分と同じ規範に従って行動すると考えているため、規範に反するような行動に対しては否定的な反応(驚き・当惑・怒り・制裁)を示す。
親は子どものとる行動に対して、「正しい行動を褒め」、「間違った行動には怒る」、その中で人は「正しい行動」、つまり規範に沿った行動をとることを学習(条件づけ)するのである。
やがて成長し、所属する集団が家族から学校・友人、大人になって会社員になると、その集団の中でまた異なる規範を学ぶ。
これは集団ごとに規範が異なるのと同時に、子ども・学生・会社員では、社会的役割によって期待される行動が異なるからでもある。
その中で人は、同じ集団の仲間から嫌われないよう、好かれるよう、規範に沿った行動をしなければならない。

規範には、法律のように明文化されているものもあれば、自分たちが暮らす社会や所属する集団の中で何となく共有されているような価値観といったものも含まれる。
明文化されていない規範は、集団の中で実際に様々な行動をとり(もしくは他者の行動を観察し)、その行動に対して他者がどのような反応をするか(肯定的か否定的か)を確認することで、集団が共有している規範を理解する必要がある。
この時、具体的にどのような人の行動(あるいは反応)を参考にするだろうか?
例えば、自分が魅力的に感じる人(もしくは反面教師としてその逆)の行動を模範にする。
また、権威ある人の影響力も大きいだろう。
子どもなら親、学生なら先生、会社員なら上司など。
権威者には服従する傾向がある。

韓国の場合、メディアや政治家、親や教師など、権威者が反日を刷り込んでくる。
親日的な行動は批判の対象となり、反日行動が動機づけられる。
反日は韓国人として期待される役割であり、反日は韓国という社会における規範となっていると考えられるのだ。



2. 反日韓国人を嫌う日本人

対人認知において、人は自分が好きな人からは好かれていると考え、自分が嫌っている人からは嫌われていると考える傾向があるという。
また、自分のことを好きでいてくれる人を好きになり、自分を嫌っている人を嫌う傾向がある。

更に攻撃行動の研究において、自分や自分の属する集団に対して悪意を持つ他者に、人は防衛的攻撃反応が動機づけられるという。

対人関係における感情表出の研究でも、相手の怒りが自分の怒りを誘発するとされている。

つまり、韓国の反日に対して、日本人が怒り、韓国人を嫌うのは、心理学的に当然なのである



3. 韓国を擁護する日本人と、彼らへの反応

朝日新聞や毎日新聞、NHKやフジテレビ、そして有田ヨシフのような政治家・知識人。
日本国内には執拗に韓国を擁護しようとする勢力が存在している。

日本のインターネット上では、彼らに対して極めて批判的な立場がとられている。
これは韓国の反日と同様に、日本のインターネット上では嫌韓が社会的規範になっていると考えられる。
そのため、規範から逸脱した日本人は売国奴などとバッシングを受けることになる。
しかし、なぜ彼らはそうまでして韓国を擁護しようとするのだろうか?

人間の態度に対する説明として、均衡理論がある。
これは三角形の頂点に自分・他者・対象を置き、それぞれの関係を肯定的(+)か否定的(-)かで示して、3者の関係を掛けあわせてトータルが「+」になれば均衡した状態、「-」になれば不均衡な状態となる。
不均衡な状態は不快感を抱かせるため、均衡状態になるように関係を変えなければならない。

例として、「ピザが好きだが、太るので食べたくない」という葛藤状態をあげよう。
まず、「自分はピザが好き」なのでこの関係は「+」である。

次に、体重(痩せたいor体型を維持したいという願望)は自身のことなので、自分と体重の関係も「+」とする。
最後に、「ピザを食べると太る」ので、両者の関係は「-」である。
結果、「+」×「+」×「-」=「-」となり、これは不均衡な状態である。
これを均衡状態にするには、いずれかの関係を変えなければならない。
その方法は3つある。
一、『自分とピザを「-」にする』、つまりピザを嫌いになれば良い。
ニ、『ピザと体重を「+」にする』、つまりピザを食べても太らなければ良い(運動するとか、食べても太らないピザ?を食べるとか)
三、『自分と体重を「-」にする』、つまり逆に考えるんだ、「太っちゃってもいいさ」と。

では、実際に韓国を擁護する日本人(長いので「サヨク」と呼称する)の場合を考えてみよう。
まず、「サヨクと韓国は深い関係」であると予想される(少なくとも否定的な感情は持っていないだろう)ので、この関係は「+」である。
次に、日本人と韓国の関係はこじれているので、ここは「-」である。
最後に、「サヨクは日本人」なので、同一集団とみなされる両者の関係は「+」である。
結果、「+」×「-」×「+」=「-」となり、これは不均衡な状態である。
この場合の解決方法は、以下の3つである。
① 『サヨクと日本人を「-」にする』、つまり嫌韓な日本人を「差別主義者」と呼んで差別し、自分とは違う存在だと考えることで、自分との同一化を解消すれば良い。
② 『サヨクと韓国を「-」にする』、つまり自分も他の日本人と同様に韓国を嫌ってしまえば良い。
③ 『日本人と韓国を「+」にする』、つまり日本人を親韓にすれば良い。

ここで言う③のパターンこそが、今回問題とした「サヨクによる韓国擁護行動」の説明となる。
同時に①のパターンもよく見られるが、これは③がうまくいかないために、対処療法的に均衡状態を保とうとした結果ではないかと考えられる。
・・・その場合、もし万一、日韓が仲直りした時には、日本人と自分を切り離したサヨクはどう均衡をとるのだろうか?w
ちなみに、②のパターンの場合はサヨクとしての存在意義を失って、表舞台から姿を消すことになるだろう(そうして消えていった元サヨクも多いのかもしれない)。


ところで、サヨクが③を実現しようとすれば、日本人の態度を嫌韓から親韓に変えるよう説得しなければならない。
メッセージ学習説によれば、説得の成功・失敗には
「送り手(信憑性が高いor魅力的な人だと成功しやすい)」、
「内容」
「媒体」
「受け手」
という4つの要因が関わるという。
現状、どの要因も満たせるとは思えない。

また、強い態度には説得に対する抵抗が生じる。
抵抗には、
「リアクタンス(説得に応じない)」
「疑惑(警戒する)」
「吟味(説得内容を徹底的に検討し、批判する)」
「慣性(均衡状態にあるならば、態度の現状を維持する)」
といった種類のものがあるが、下手な説得は逆効果となる(より嫌韓が強くなったり、嫌韓日本人が増えたりする)。
実際に、サヨクは警戒され、嫌韓ネタは大体が事実であるためサヨクの主張には説得力がなく。
日本人からすれば、韓国とは互いに嫌い合っているので、均衡がとれた状態である。
説得は絶望的であると私は見ている。


なぜサヨクは、絶望的な親韓説得を続けるのだろうか?
また、これだけ韓国面が広く知れ渡るようになった現在でなお、韓国への好きを諦めないのだろうか?

これは認知的不協和理論で説明できる。
ある信念(「韓国はいい国だ」、「韓国人は素晴らしい」、「日韓は友好的であるべきだ」)を持っている人が、それに反する情報(嫌韓ネタ、日本人の嫌韓)を手に入れると、不協和が生じる。
均衡理論と同様、この不協和は解消しなければならないものである。
しかし、信念を破棄できない場合、どうにか協和できる部分を探して、不協和を低減しようとする(「悪いのは一部の韓国人だ」、「韓国を嫌っているのは一部の差別主義者だ」)。
また、態度に反する行動を取ってしまった時には、その行動と辻褄が合うように態度を変化させる(記者「韓国はおかしな国だと思うけど、上から韓国押しの記事を書くように言われた(´・ω・`)」→「韓国って良い国だなぁ @∀@)」)。
つまり、これまで散々韓国を持ち上げてきた結果、マスゴミや知識人は韓国が好きになっている
あるいは、「自分が韓国を好きでないと自分の過去の行動と折り合いがつけられない」ため、韓国を擁護することで現在の自分と過去の自分との一貫性を保とうとしているのかもしれない。



4.日韓友好は心理学的にありえない

均衡理論で言えば、日本と韓国は現在、互いに嫌い合うことで均衡状態を保っている
ここで日本人が反日な韓国人を好きになったりすれば、不均衡な状態となり、不快な感情を抱くことになるだろう。
日韓の歩み寄りを促す声がアメリカなどから出ている。
しかし、均衡理論から言って、日本からの歩み寄りは不可能だ(だからアメリカ側も「韓国側に問題がある」と述べるようになった)
どちらかが歩み寄らなければならないのだとすれば、それは先に一方的に嫌悪感情をぶつけてきた韓国の方である。

しかし、反日が社会的規範となっている韓国にそれは難しい。
一般個人や政治家、専門家などが態度を変えれば、裏切り者として制裁の対象となる
法で裁けずとも、集団の圧力がそれを許さない。
大統領が親日行動を取れば支持率が低下し、反日行動をとれば支持率が回復するのがわかりやすい例だ。

心理学的に考えて、日韓関係の改善は厳しい。
ここは朴槿恵大統領の提案に乗るべきだ。
「1000年恨む」と言うのだから、1000年断交しようではないか。
1000年もすれば、規範も態度もみんな忘れて、良好な関係を築けるかもしれない。


――日韓基本条約の締結から50周年の記念にサヨナラを――

2015年1月31日土曜日

【ISIS人質事件】 責任を取らせる法整備をしては?

ISISの人質になっている邦人2名。
その解放にテロリストが要求を出してから10日が経った。
当初の「1人につき1億ドル」から「死刑囚の解放」へと要求は変化したが、未だに膠着状態である。

その感、日本国内の世論に何か変化があっただろうか?

当初は「自己責任」という言葉に溢れていたが、最近はあまり耳にしなくなったように思える。
これは、「人質を解放して欲しい」「助かって欲しい」という同情的な方向に変わったということだろうか?
テレビを見ていると、政府は絶対に救出するという意志を前面に出し、番組作りそのものが「無事に帰ってきて欲しい」という良心に基づいたものになっている。
また、NHKのツイッターと連携した番組では、「助かって欲しい」という意見がひっきりなしに表示されていた。

政府やマスコミの姿勢に流されて、当初は「自己責任」と突き放していた人、関心の薄かった人が、同情意見に変わっているのかもしれない。
一方で、初めから呆れ返っていた人は完全に関心を失い、意見を発しようとしなくなった、「サイレントマジョリティ」となっているとも考えられる。
もしくはNHKに寄せるツイッターなど、自己責任論者の意見は番組から弾いているのかもしれない。

そんな中、デヴィ夫人が爆弾を投下した。
後藤氏に対して「自決するべき」とブログで発言したのだ。
これに対する反応としては、当のブログや各ネットサイト、またはマスコミによって差があるかもしれない。
しかし、私が主に参考にしている痛いニュースによれば、「同意見だが公に言うべきではない」というのが多数派のようだ。

ちなみに、私も自決するべきだと考えている。
「生きて虜囚の辱めを受けず」とまでは言わないが、国や世界にかける迷惑を考えれば仕方があるまい。
『たったひとつの冴えたやりかた』だ。
フィクションのように奥歯に毒を仕込んでおいたり、心停止したらその情報がどこかに送られるといった仕掛けがあれば便利なのだが。

ともかく、倫理観や感情論、常識的判断によって、無謀な人質に同情したり、それに反する意見を封殺することが正しいとは思えないのだ。



ここまでは事件に対する世論や私見について述べた。
ここからが本題で今後、同じような事件(危険地域へ立ち入り拘束される)が起こった場合の対応について考えていきたい。

まず現在、外務省は危険地域に対して渡航を自粛させるよう情報を発信している。
http://www.anzen.mofa.go.jp/
レベル1:渡航・滞在に当たり特別な注意が必要な場合
レベル2:渡航の是非を検討し、渡航する場合は十分な安全措置を講ずることを勧める場合および、不要不急の渡航を控えるように勧める場合
レベル3:渡航の延期を促し、現地滞在の邦人は当該国地域から退避の検討や準備を促す場合
レベル4:現地滞在の邦人は安全な周辺国へ避難するか日本へ帰国することを勧告する場合

これが出されたところには行かなければ済むという話なのだが…。
残念ながら、強制的に渡航を禁止したり、渡航者を罰することはできない。
これは憲法22条の移動の自由に基づくもので、近代国家としては制限することは難しい。

では、どうすれば良いのだろう?

ひとつは、テロと徹底的に戦うという道だ。
戦場報道・ボランティアなどで拘束された国民は、何が何でも救出する。
しかし、そのためには軍の整備が不可欠だ。
これは、いざとなれば軍事力をもって敵を制圧する必要が出てくるというのがひとつ。
そして、これまでのようなバックアップではなく、前線に出て戦うとなれば、911のような報復の恐れがあるため、防衛を固める必要があるというのがひとつである。

この場合、9条の解釈が難しいところだ。
人命救助のため、海外へ侵攻することは自衛の範囲と言えるだろうか?
言えるのならば、大東亜戦争=侵略戦争という見解は完全に撤回してしまわないと辻褄が合わなくなりそうだ。
しかしそこまで行ったら、9条を撤廃するところまで行くしかないだろうと思われる。

良い面としては、いざとなれば戦争可能ということで、戦場ジャーナリストやボランティアの活動がしやすくなるのではないか、という点だ。
この活動が活発化すれば、情報の需要が増すことで戦場ジャーナリストは多大な利益を得られるかもしれない。
現在の「自己責任論」に対し、専門家は海外における戦場ジャーナリストの地位の高さを主張している。
日本では必要性があまりないために地位も利益も小さいようだが、これが改善されることになるだろう。

一方、悪い面としては…。
本当に戦争するの…?
ガチで軍事力固めるのには、どうしても抵抗がある。



そこで、第二の道を示そう。
それは、自己責任を徹底化するというものである。

大使館職員や、危険地以外から拉致されてしまうというケースは例外として。
危険地に渡航して拘束された人間には、責任をとってもらう。

身代金の支払いやテロリスト仲間の釈放といった、テロリストに利する要求は決して呑まないが、それ以外ならあらゆる外交手段を使って救出する。
しかし、身代金の支払いに応じなくとも、救出には費用がかかる。

例として、2004年のイラク三馬鹿事件を上げよう。
参考サイトによれば、この事件により日本が被った被害は、

 〉 救出の費用(税金) 20億円
 〉 ヨルダンからの債務免除要請額(税金) 2000億円
 〉 株価暴落による損失 13兆円
 〉 3人がイラクで得た自己満足 Priceless

 〉 国民一人当たり13万円程度の損害を被ったことになる。

だ、そうだ。
今回の後藤氏も「自己責任で行ってくる」と言い残しているが、どうやって株価まで自己責任で償おうというのか。
国会も閣僚が途中退席したりで、相当に国益を損なっているのだが。

株価のような計算が難しそうなものはさすがに除外するとしても。
救出費用くらいは税金ではなく、自己負担でお願いしたい。
災害救助と違い、予期できる災難なのだから、これくらいは仕方がないだろう。

というわけで。
拘束されたら、20億円払ってもらう。
救出に奔走したけれど、結果的に死んだ場合でも、遺族に払ってもらう。

こんな抑止力を作ってしまえば、危険地に行く馬鹿はいなくなるのではないだろうか。
もし行くとしても、奥歯に毒と、死んだら即座に知らせる仕掛けが必須だ。
日本はこれまで通り安全圏から、テロに苦しむ人達に金をばら撒いて支援します。

2015年1月9日金曜日

【フランス紙襲撃テロ事件】 報道の自由の許容範囲 ~ペンでは剣を防げない~

1月7日、パリの新聞社シャルリー・エブドがイスラム過激派に襲撃されるという事件が起こりました。
この事件で亡くなられた警察官、もしいれば無関係だったはずの市民の方に、心よりお悔やみ申し上げます。


事件の概要としては、

襲撃を受けたシャルリー・エブド社は、風刺画を使う左翼新聞社。
無神論的な立場のため、イスラムやその他あらゆる形態の宗教も風刺の対象にしていた。
編集方針は「様々な左派の見解、さらには政治参加に無関心な人の見解」を反映することだとのこと(ソースはwiki)

そもそもの事の発端は2005年、デンマーク日刊紙によるムハンマド風刺漫画掲載問題に始まると考えられる。

翌2006年、シャルリー・エブドがデンマークの雑誌に掲載されたというムハンマドの風刺画を転載(上記のものと同一かは不明)。
それから何度となくイスラームの風刺画が掲載し続けた。

2011年、シャルリー・エブドのオフィスに火炎瓶が投げ込まれ全焼。
2012年にはフランス当局からの警告を無視して風刺画を掲載した。

彼らの言い分は、「報道の自由」

フリーダムにイスラームを風刺し続けた結果、編集者など重要人物が集まる会議の日に襲撃され、殉職されたということだ。



この事件に対して、現地フランスやアメリカ、そして日本など各国が抗議の声を上げた。

「卑劣なテロは許せない」
「報道の自由に対する冒涜だ」

確かに、テロは絶対に許されない行為である。
これは基本なので掘り下げない。

問題は、果たしてシャルリー・エブドの風刺画が「報道の自由」として許容される範囲におさまるものだったのかどうかという点だ。

そもそも偶像崇拝が禁止されているイスラームに対して、ムハンマドの風刺画を描くこと自体がタブー中のタブーである。

例えば、異文化圏の知人がいたとして、それを料理でもてなすという場面を想像してみよう。
ムスリムの知人に、豚肉を出したとしたら?

――ブチ切れるだろう

インド人に牛肉、シーシェパードに鯨、愛犬家に犬鍋
宗教的・文化的価値観において、タブーとされるものは溢れている。
そして常識があれば、タブーを、相手の地雷を踏む行為は絶対に避けて当然なのだ。

では、シャルリー・エブドには常識が欠けていたのだろうか?
2012年に風刺画を掲載した際、編集長のカボニエール氏は以下のように語ったという。

「ムハンマドは私にとって聖なる存在ではない。イスラム教徒がこの漫画を見て笑わないのは仕方がない。しかし、私はフランスの法の下に生活しているのであって、コーランに従って生きているわけではない」

決してムスリムは納得しないだろうが一応は正論だ。
なので、百歩譲ってムハンマドの偶像問題は良しとしよう。

次の問題は、実際に掲載されたムハンマドの風刺画だ。








・・・・・・これは報道の自由とか言う問題なのか?
私にはイスラームに喧嘩を売っているようにしか見えない。
そして近年流行している言葉で、彼らの報道について一言で語るならば。

ヘイトスピーチ

こんなもの、それ以外のなにものでもない。
在特会などのヘイトスピーチを批難するアメリカや日本政府が、なぜシャルリー・エブドを「報道の自由」の体現者として擁護するのか?
テロを否定したいがあまり、他の問題との整合性が取れていないではないか!


今回の事件、私から見れば

テロリストとマスゴミ(もしくは差別主義者)との抗争

である。






今回の事件では2名の警官という尊い命が失われてしまった。
この事件から教訓とすべきことは何だろうか?


1.自由には責任が伴う

ここまで散々シャルリー・エブドを批判してきた私だが、報道したこととその内容自体が間違いだとは考えていない。
名誉毀損なのでアウトだろうと思うところはあるが、相手はテロリストなのでどっちもどっちである(ムハンマド風刺はテロリストではないムスリムも傷付けるかもしれないが)
しかし、自由(フリーダム)に報道するのであれば、その影響についての責任は負わなければいけない。
今回、彼らは武力による報復という形で、代償を支払った。
まさに因果応報。
テロリストに喧嘩を売ればこうなることは想像できて然るべきことなので、悔いは無いだろう。
あったら死しても救いようがない。



2.ペンでは剣を防げない

「ペンは剣よりも強し」――報道は、時に武力よりも人を傷つける
しかし、攻撃力の高いペンも、防御に回ると実に脆いことが明らかになった。
そりゃあ、ペンで剣を受け止めたりすれば真っ二つになるだろうから、当然と言えば当然だが。

暴力をかざす相手には、こちらも暴力か、何かしらの抑止力を持たなければならない。
軍事国家との外交と同じことが、報道においても言えるのだ。

もちろん、いちメディアが武装化したらそれこそ大事になる。
現実的には、警察や警備会社の厄介になるしかないのだが。
その前に、自重することを覚えて欲しい。
どこまでなら言ってもいいか、どこまで言ったら危険か。
相手と、自分たちの力。
それを見極めた上で報道しなければ、また善良なる警官が犠牲になってしまうだろう。


報道内容が事実であるならば、何を言うのも自由だ。
しかし、自殺行為は自己責任で行って欲しい。





参考にしたページ
http://jp.wsj.com/articles/SB11685468879700404194004580386180553896628
http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/07/4-cartoonists-killed-charlie-hebdo_n_6433584.html
http://mindhack2ch.com/archives/20187154.html

2014年12月15日月曜日

【衆院選終えて】 沖縄県民は日本人なのか それとも・・・

昨日の衆院選。
小選挙区で自公が圧勝する中、異常事態とも言える県があった。

沖縄

なんと沖縄県の4つの小選挙区全てにおいて、自民党の候補者が敗れたのである。
愛知や維新が強い大阪で与野党が拮抗する減少が見られたが、沖縄ほど極端な例は他にない。

ただし、それら全ての選挙区において、自民の候補者は比例復活を果たしている。
小選挙区の勝者の内訳は、共産・社民・生活・無所属とバラバラであったため、「とりあえず自民以外で」投票したことが伺える。
自民候補の比例復活は、反自民の有権者の中で比例代表の投票先が分裂したことが要因だろうか?
単に、沖縄が含まれる九州ブロックの比例票が入っただけなのだろうか?
沖縄県における比例代表の投票先にどのような傾向があったのかは興味深い。

しかし事実として、沖縄県内でも一定の自民支持はあったはずである。
沖縄1区と4区での票差は決して大きくなく、得票率で言えば3~4%の差に過ぎないのだ。
ただし、逆に2区と3区では得票率で20%差という文字通りの惨敗を喫している。

2区は普天間基地がある地域であり、
3区は辺野古を含む地域である。

投票者の意思は、自民信任の云々ではなく、「米軍基地にNO」であったことは明白なのだ。
これは先月の沖縄知事選において、米軍基地移設に反対である翁長氏が当選したことと同じである。



・ 沖縄県民の真意は?

ここで難しいのは、米軍基地反対が本当に沖縄県民の意見がどうかがよくわからないことだ。
つまり、「沖縄県での投票者」=「沖縄県民(古い言い方をすれば琉球民族)」であるとは限らないということである。

「沖縄 選挙 住民票」でググると、知事選前に数万人(7万人という発言あり)が沖縄に住民票を移していたという話が出てくる。
真偽は不明だが、これが事実で、彼らが自民の対立候補に投票したとすると、当選者が自民党候補につけた得票差とほぼ一致する計算だ。(一致する数を後から出したという可能性もあるが)

勿論、転居の自由は認められている権利なので、沖縄県外の米軍基地反対派が選挙のために住民票を移したとしても、うす汚いが違反ではない。
しかし、何かしらの方法でこのようなことを食い止めなければ、真の沖縄県民の意思がわからないままになってしまう。



・ 沖縄独立!?

今年、イギリスではアイルランド独立の是非を問う住民投票が行われた。
この時(少なくとも私の中では)危惧されたのが、日本でも沖縄独立という声が出てくるのではないかという問題だ。

誤解のないように言っておくと、私は沖縄を特別な目では見ていない。
これは、私が沖縄返還後に生まれ、沖縄県を47都道府県のひとつであるとして教育を受けたためだ。
無論、100年と少し前までは琉球王国だったという歴史については理解している。
しかし、大和民族や大和朝廷の勢力圏の内外という話をすれば、1000年前は東北や北海道も日本ではなかったのだ。
自分が生まれる前の話ならば、100年前も1000年前も同じこと。
現在、沖縄県は日本の一都道府県であり、他の都道府県民と同様に沖縄県民は日本人である――というのが私の認識だ。

しかし、沖縄県民自身が、自分たちをどのように考えているかまではわからない。
報道では、米軍基地の負担を沖縄に押し付けているということで日本政府に反感を持っているという話を聞くし、米軍基地反対のデモの話もよく聞く。
一方で、それは一部の人間、もしくは県外から来たプロ市民であり、根っからの沖縄県民は米軍に悪感情など抱いていないという話もある。
どちらにしても、そもそも公平な立場で聞き取りをしたのかがわからないため、本音が全く見えてこない。
できれば沖縄県民対象にアンケート調査などしてみたいものだ。(既にあったら情報求ム)

最悪、沖縄県民が日本から独立したいと言うのであれば、それはそれで仕方がないと思う。
問題は、独立後の関係だ。
独立するなら、日米の同盟国として、ないし永世中立国としてでないと困るのだ。
というのも、知事選に出馬した大城浩詩なる人物が、「琉球独立後に中韓の軍隊駐留を」と訴えていたのだ。
沖縄県民は賢明にも彼を落選させたようだが、もし本当に、沖縄に中国軍基地など作ったらどうなるかお分かりだろうか。

日米・琉中戦争の勃発である

実際、日清戦争・日露戦争では、朝鮮や満州といった防衛線を確保するために戦ったという面も大きかった。
現代においても、沖縄に中国軍の基地を作ろうとすれば、日本国民の生命を守るために、即座にこれを破壊するしかあるまい
当然自衛権の範囲内であろうが、9条信者が心から戦争に反対するのならば、沖縄独立や米軍撤退など要求するべきではないのだ。
そして、沖縄独立・中国への擦り寄りが沖縄県民の本意でないならば(心からそれを願う)、これらを主張する不逞な輩は即刻沖縄県から締め出さねばなるまい



・ 米軍基地問題

沖縄県民の真意がどうであれ、米軍基地が彼らの負担になっていることは事実であろう。
普天間飛行場は危険であり、辺野古を埋め立てると海が犠牲になる。

この際、普天間周辺の特に危険なエリアを国が買い上げ、まっさらな国有地にしてしまうのが一番ではないかと思うのだが、どうだろう?
当然、指定したエリアの土地所有者は黙っていないだろうが、充分な補償を与えてどうかひとつご理解頂くわけにはいかないものか。

そもそも沖縄県の内外に限らず、日本には土地がないのだ。
どこに行っても誰かが住んでいて、そうでないところは大体が神聖な山だ。
文句の出ない移転先など、そもそも存在しないと思うのだが。

ついでに言えば、「沖縄ばかり負担を・・・」と言うが、他の都道府県も別の問題で負担がある。
福島第一原発周辺の住民はあの施設があったばかりに住む場所を失ったのだ。
ちなみに、日本最大の原子力発電所・柏崎原発のある新潟で育った私は、日本の経済及び快適な生活レベルを維持するためならば、原発を容認派している。



・ 沖縄県民は何者か?

結局のところ、「沖縄県民は自身を何者だと認識しているか?」というのが問題の根幹である
沖縄県民=日本人ならば、日本の防衛のために協力して欲しい。
それとも、日本に編入されただけの部外者である琉球人だと考えているのだろうか?
もしくは、同じ編入されるなら、日本人よりも中国人であることを望むのだろうか?

そしてもしも、沖縄県民が自身を日本人だと認識しているのにも関わらず、離散工作をしている連中が幅をきかせているようであれば。
県外から沖縄へ移住するのには、厳密な審査を行う法整備が必要となるだろう。

2014年12月2日火曜日

不況の原因について考えてみた ~無駄遣いのすゝめ~

本日、衆院選の公示が行われました。
最大の争点は、やはり景気対策になりそう。

夕方、日テレでは党首討論をやってました。
アベノミクスの採点ということで、自公と次世代が60点台を。
新党改革が、まだ道半ばだとして、50点満点中で30点台後半を出していました。
対して、政権時は動向を注視するだけで儲かったのは韓国だけだった民主党は「マイナス38万人」(笑)という頭の悪い回答。
共産党はマイナス50点。100点満点でマイナスつけるとか、小学校からやり直してくれ。
ちなみに私の採点では、55ってところでしょうか。偏差値で
株価が上がり、円高もかなり解消され。
成長に繋がっていないのが残念だけど、新党改革の言う通り、現状ではまだ評価しきれないかと。


さて、そんな中で今回は。
なかなか回復しない景気について、その原因を経済学とか1ミリも知らない私が考えてみました。


・ 「売れる→儲かる→給料上がる」の好循環が必要

国会では賃金の引き上げについて議論されてますが。
企業としては、業績が良くないと給料アップなんて難しいでしょう。
一時的に業績が良くなっても、「また悪くなるかもしれない」と考えると慎重にならざるを得ない。
そして結局、給料は据え置き。
また、家庭では不景気の到来を恐れ、支出を抑えようとする。
これで余計に、企業の業績が上がらない。
「売れない→儲からない→給料上がらない(or下がる)」の悪循環です。

景気の回復には、まず好循環3要素のいずれかを実現させなけれなりません。
そこで国会がやっているのは、賃金を引き上げるということなのですが。
果たして、本当にそれが正解なのでしょうか?


・ 無駄遣いを悪徳とする風潮

ドラえもんを見て育ったアラサーの私は、のび太がママに「お小遣いを無駄遣いするんじゃありません」と叱られるシーンを度々目にしていました。
ここで言う無駄遣いとは、おやつやマンガで、玩具はなかなか手が届かないようでした。

しかし、これって本当に「無駄」でしょうか?
仮に無駄だとして、無駄遣いは本当に悪なんでしょうか?

先述したように、おやつもマンガも、買ってもらえれば企業が儲かります。
企業が儲かれば、社員の給料も上がります。
給料が上がれば、買い物ができます。
無駄遣いこそが経済の好循環に必要なのではないでしょうか?



・ 「無駄遣い=悪」は経済成長期の戒めか

何故、無駄遣いが悪いことのように言われるんでしょうか。
ひとつには、将来本当に必要なものができた時、無駄遣いばかりしていると肝心のお金がなくなることを危惧しているということがあるでしょう。
しかし一方で、(世代ではないので印象論ですが)バブルまでの高度経済成長期にあり余る金を好き放題に使ってきた日本人に、清貧とか慎ましさといったものを忘れないよう、戒めとして使ってきた言葉なのではないかと思うのです。
特にバブル期などは、ジュリアナやら何やら、当時の映像を見るとただただ「下品」だと感じます。
戦後の貧しい時期を経験した人などは、下らないことにお金を湯水のように使う若者は気に食わず、「無駄遣いをするな」と言ったのかもしれません(知りませんけど)


・ もしくは手遅れになってからの教訓?

無駄遣いをやめようというのがいつから言われだしたのかはわかりません。
だから、前の仮説は誤りで、実際はバブル崩壊後の流行語ということも考えられます。
――もうバブルは崩壊して不況に堕ちた。
――これからは今までのように自由にお金を使うことはできない。
――それどころか、更なる不況に陥る可能性だってある。
――将来、生活するためのお金すら失わないように、節約を心掛けよう。
そんな流れだったのかもしれません。


・ 高級志向から安いものや無料のものへ

クレヨンしんちゃんぐらになると、とーちゃんは安月給と罵られ、みさえはスーパーの安売りチラシとにらめっこという時代になりました。
家計を預かる主婦に限らず、男も若者も、とにかく少しでも安いものを求めるようになりました。
すると、勝ち組企業は「お客様のニーズに応える」をモットーに、値下げ競争を開始します。

「多少質が落ちてもいいから安いものを」ということで、生産現場がアジアへ移ったり。
大量に仕入れることで安く販売できる大手の小売店が、個人商店を蹂躙したり。
ビデオに続いてコミックも格安でレンタルできるようになると、古本屋が悲鳴を上げて。
ゲームも中古で買うようになると、メーカーは廉価品を出して対抗して。
ゲームはとうとう、無料の時代に突入しました。

とにかく安いものへ安いものへと志向が移り、それが当然の価値観になりました。
高いものには手を出さず、安くても必要な物以外はなるべく買わない。
高級品は買えるか買えないかという以前に、買ってはいけないものという認識になりました。
3000円のカツカレーを食べただけで、マスコミがこぞって政治家を叩くような時代です。
不況だ不況だと騒いでいる割に、そのメディアが不況を後押ししているという実態。
政府には消費税の前に、マスゴミの平均年収が500万程度になるくらいマスコミ税を取って欲しい。


・ スマートだったりガラパゴスだったりする、道具の統合

スマホなんかも消費全体を落ち込ませている原因かもしれません。
もしもスマホがなく、電話とメール機能しかない携帯電話だけだったら?
カメラに携帯音楽プレーヤー、メモを取る筆記用具に、ゲーム機に、電卓に、地図に、情報誌に、それらを入れる鞄に…。
スマホがないだけで色々なものが必要となり、逆説的にスマホはそれらの需要を奪っていることになります
勿論、資本主義社会の自由競争の前提上、スマホを悪として禁止することなどできませんし、もしもなくなったら私も困ります。
しかし、スマホのような様々な用途がある道具の普及は、一対一の椅子取りゲームのような競争ではなく、一が勝って十が負ける殲滅戦、スマホ無双であるということも事実でしょう。
パソコンも同様ですが、生活が便利になった反面、社会全体の不況には拍車をかけているのかもしれません。


・ 「金を払ってまで手に入れるようなものじゃない」の心理

少し前、ビートたけし氏が、いちじくだか柿だかの販売についての報道VTRを見た時に、「俺が子供の頃はその辺の家になってるやつを勝手にもぎって食ってた」といったことを話していた記憶があります。
こういった、「無料で手に入る物(無料だった物)」というのは、いざお金を出すとなると買いにくいものではないでしょうか?

例えばポケットティッシュ。
街頭で無料で配っているのに、いざ必要な時にないと、わざわざ買うのに躊躇してしまうものです。

今、この流れで最もダメージを受けていると思われるのが音楽CD。
1枚1000のCDを100円か200円でレンタルして、カセットやMDに録音という時代があり。
やがてインターネット上での違法アップロード&ダウンロードという時代になりました。
まぁそれ以前にも、ラジオ番組からカセットに録音とかできたんですけど。
売り手はこれを防ごうと、CDにコピーガードをつけたり、違法DLを法律で禁止させました。
ところが、コピーガードは音楽を携帯端末で持ち歩きたい消費者心理と対立して失敗。
違法DLの方も、特に効果があったという話は聞きません。
今年のCD売上上位の顔ぶれも、握手券のAKBと、ジャニーズ、EXILEで全て埋まりました。
CDは音楽を聞くために買い求めるものではなく、ファングッズとして手に入れるもの、アイドルに収めるお布施のようなものとなっています。
結局、「歌に金を出す」という価値観を現代人は失ってしまったということでしょう。

また、現在の不況で理容室美容室などにも影響が及んでいます。
これまで個人で経営し、カットなら1時間で3000円台くらいが普通だったこの業界。
早い・安いをモットーにした大型チェーン店が登場しました。
15分1000円でやってくれるので、忙しい人にも、貧しい人にも、人見知りな人にも優しいお店。
更に、それすら嫌だという人は、お店に行かず自分で揃える程度にカット、雑誌などで切り方を教えてくれます。
さすがにかつて流行ったカリスマ美容師の需要までは食わないでしょうが、ごく平凡な家族経営のお店はかなり厳しくなってきたのではないでしょうか。
自分でもできるカットを、さほど腕が良いわけでもない近所の床屋に頼むというのは「無駄」に感じてしまうかもしれません。

あとは、ネットで大量の情報を入手できるようになったことで、料理のレシピを始めとしたハウツー本も売れなくなってきているでしょうし。
DIYの流行で、業者や家具メーカーなんかも需要が減っているでしょう。
私も、水道の蛇口が閉まりきらず水がポタポタしてた時、ネットで調べて自力で直しましたし、ダンボールで本棚とか作ったりしてしまいましたからね。

こういう風に「お金を使わない」という選択肢ができると、お金があってもわざわざお金を払わなくなるのではないかと。


・ せめて年寄りがお金を使えば・・・

お金を持っているのに使わないといえばお年寄り。
貯金に退職金に年金にと、お金はあるけれど使い道がない
盆栽などお金を使う趣味でもあれば良いのでしょうが、そうでなけれな孫に小遣いでもやるか、振り込め詐欺に献上するか。
何で1000万とか持ってるのか、振り込め詐欺事件の報道聞く度に呆れます。
将来が不安だったのかもしれませんが、もうちょっとコツコツお金を使っていれば、景気は今よりもずっとマシだったかも。

お年寄りは医療費なんかにもお金が必要になります。
病気で入院した時のため、体が動かなくなって介護を雇うときのため、お金を残しておきたいと考えるものかもしれません。
しかし、その医療費・介護費って、保険でだいぶ安くなるんですよね。1割負担とか。
お年寄りに等しく医療・介護サービスを受けてもらうためという考えは分かるんですが、折角お金持っているのに割り引きしてどうするのかと。
持ってる人から金を引き出さずに誰から金を毟り取るのかと。
最近、家族が介護サービスを受けて、負担額の安さに疑問を覚えたところでした。


・ 必要なのは新たな消費価値観の想像

とにかく、「国民が金を使わないことにはどうしようもない」というのが私の考えです。
しかし、今更高級品を買わせるのは難しく、一度無料だったものが有料になっても利用しなくなるだけでしょう。
よって、景気の回復には全く新しい消費の価値観を創りだすことが必要なのです。

既存のツールを統合したものではなく、
既存の業種と競合するものではなく、
これまでとは完全に発想を転換させた、
多くの人が必要とし、お金を払うことに躊躇がなく、無料では入手不可能な。
そんな、なにか。

いや、私にはまったく思いつきませんけどw
アレンジが得意な日本人向きではないではないのかもしれませんし。
しかし、そういう斬新なものが出てきてくれないと。
アベノミクスどころではなく、資本主義そのものが行き詰まりとなるでしょう。

大企業は販路拡大とかやってますけど。
トヨタは世界中全ての人に車が行き渡ったら、宇宙人にでも売りに行くつもりなんでしょうか。

行き着く先は行き止まり、やっていることは成長という名の延命措置。
この世は全て有限なれど、有限をどこまで拡大できるか。
それが課題。

2014年11月18日火曜日

衆院解散をポジティブに考えたい

もうすぐ安倍首相の会見が始まります。
会見前にテレビの速報テロップで「消費増税延期」と「衆院解散」が発表されるとか、
一体ソースは何で、果たして信頼できるものなんでしょうかね。

というわけで、首相の会見を待ちつつ、
「いつから解散すると錯覚していた」とか安倍ちゃんが言い出さないか少し期待しつつ、
解散総選挙があること前提で、これをポジティブに考えてみます。



そもそも、まだ任期2年くらいあるのに何のための総選挙だ?というのがまず問題です。
年内の消費増税と、その前提条件である景気回復がうまくいかなかったから、というのが表向きの理由ですが。
私も含めて大半の国民は、「そんなことで選挙せんでも・・・」と思っているわけです。

仮に自民党を否定したとしても、民主党をはじめ、他の政党が景気回復できるとは思えない。
特に民主党は政権時代、1ドル70円台の超円高にして韓国に好景気をもたらした売国奴ですし。
また、消費増税に関しては、民主党も反対派なわけではなく。
反対している政党は、共産党など問題外な方々のみ。
つまり、投票先がないというのが実際のところです。

ついでに言わせてもらうと、景気回復が低調だったのは、
「景気回復したら消費税上げる」と脅したからではないのかと。
消費税が上がって嬉しい人なんていないだろうから、積極的に景気回復させる意志が国民に足りなかったのではないかと。



では、何故今解散なのか(ちょうど今、首相が解散を宣言しました)。
おそらく、自民党の支持率低下を止めるのに良いタイミングだからでしょう。

自民党は第一次安倍政権の崩壊以降、ずるずると支持率を低下させ、民主党に政権を奪われました。
現在の安倍政権は第一次の時と同様、大臣の不祥事と辞任が相次いでいます。
ここにきて消費増税の延期という政策の転換は、更なる支持率の低下をもたらすはず。
であれば、まだ選挙に勝てる内に解散して、4年の任期を補給しておきたいといったところでしょう。



選挙にかかる経費は、数百億円。
これを無駄と言う人もいますが。
実際に無駄にしてしまうかどうかは、投票する国民次第ではないでしょうか?
折角選挙をするんだから、これを有意義なものにしなくてはいけません。

この2年間で民主党は、与党のやることなすこと批判するだけの無責任野党に戻りました。
団扇がどうこうで内閣の支持率を下げることに躍起になり、有意義な議論をすべき時間と予算を無駄にしてきました。
今回のGDPマイナス成長を海江田代表は「アベノミクスの失敗」と断じ、与党の責任を追求しています。
しかし、経済対策をはじめ、政策に対する責任は与党だけが負うべきものではありません。
与党の案について時に賛成し、時に批判し、それがよりよいものになるよう共に作り上げる責任があります。
この責任を放棄する政党・政治家に与えられる席など、国会議事堂のどこにもありません。

いい機会です。
無責任野党を追い出しましょう。
売国政治家を追放しましょう。
本当に日本を想える人だけで有意義な議論ができる、そんな国会になればいいと思います。




最後に。

選挙において有権者に求められるのは、自分で考えようとする意志です。
マスコミの情報操作に流されてはいけません。
専門家の意見が正しいとも限りません。
ネットの評判は所々で違うかも知れませんし、勢いやノリ、他の投稿者の意見に同調しているだけかもしれません。

何か他人の意見を聞いたら、一瞬思考を止めて冷静になり、「本当のところはどうかな?」と考えてみましょう。
その心がけさえあれば、民主党政権の悪夢が蘇ることは二度とないでしょう。