昨日、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。
集団的自衛権について、私は長らく「特に必要とは思わないけれど、反対ではない」という中途半端な立場だった。
公明党が主張してきたように、日本の安全は個別的自衛権の範囲内で保障される。
集団的自衛権が必要とされるのは日米同盟の関係上、つまりアメリカのご機嫌伺いという側面が強かろうと考えていたからだ。
ご機嫌伺いなどというと何やら卑屈に聞こえるが。
外交における同盟やら敵対やらは基本的に利害関係。
利があれば協力しあうし、利が無ければ何もしない。
だから、日本の安全を米軍に保障してもらう対価として、集団的自衛権が釣り合うものであるならば、その行使容認もやむなしと考えていた。
しかし。
現在の近隣諸国の情勢をよくよく考えてみれば、これまでの「消極的賛成」ではなく、むしろ「積極的賛成」へと意見が変わった。
情勢というのは、まず何と言ってもロシアによるクリミア編入である。
その是非については置いておくが、もしも同じようなことを日本がやられたとしたら?
これがただの仮定、杞憂であると言い切れない要因がある。
中国だ。
中国と日本には既に尖閣諸島を巡る諍いがあるが、中国の領土的野心は日本以外にも向いている。
今一番躍起になっているのは、南沙諸島の問題だ。
これが今後、大きな軍事衝突に発展したらどうなるだろう?
もし仮に戦争になり、しかも中国が勝ってしまったらどうなるだろう?
次 は 日 本 と 開 戦 だ (?)
だから、今こそ集団的自衛権が必要なのだ。
ある国が日本と共通する敵から共通の目的で攻撃を受けた時、これを支援するのは日本の防衛のためになる。
平和を脅かす要因は、早い内に取り除いておくべきだ。
サヨクは発狂するような意見かもしれないが、常識的かつ冷静に、自分や家族、友人知人、その幸福を願うならば。
安易に「戦争反対」を叫ぶのは逆効果である。
勿論、戦争とは外交における最終手段、基本的には切ってはいけない札であることは認めよう。
しかし、弱腰や理想論に基づく戦争回避で得られるのは、結局はただの先延ばしに過ぎない。
先延ばし続けた結果、打つ手がないほど追い込まれ、滅ぼされるのを待つしかない段階になってから後悔しても遅いのだ。
サヨクは言う。
「子どもたち(子孫)が平和な世界で過ごせるようにするために、戦争が出来る国にしてはいけない」と。
何を莫迦なことを。
脅威を取り除かず問題を先延ばしにした結果、戦争で死ぬのは今の子どもたち、もしくはまだ生まれてきていない子孫たちだ。
今なら少数の犠牲で済んだものが、最悪、子孫の絶滅という結果になるかもしれないではないか。
結局は、自分さえ安全なら未来などどうでもいいのではないか?
口では綺麗事を言いつつも、本質的には保身しか考えていない。
先延ばしにして、笑い話で済むのは夏休みの宿題くらいのものだ。
ちょうど脅威がそこにあり、
ちょうど国際情勢が怪しくもあり、
ちょうど自衛権を見直せる政権が存在する。
さぁ。
いつやるか?
マスゴミ嫌いな木村幹人が、政治や社会系の出来事について持論を書き綴っていきます。自己紹介→http://mikitree.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html
2014年7月3日木曜日
2014年4月7日月曜日
皇位継承問題:女系天皇がダメな理由を理解したければ競馬をやれ
よしりんがまたおかしなことを言っているようなので。
小林よしのり「愛子さまがしゃべったと驚くネトウヨの無知」――愛子さま、学習院女子中等科に入学ニュースを受けて。
http://netouyonews.net/archives/8319677.html
この機会に皇位継承問題についてまとめてみる。
そもそも天皇家とは、現在の奈良県橿原で即位したとされる初代の天皇・神武天皇の一族である。
さらに神武天皇の男系(父親の父親の父親・・・)を辿ると、日本神話の最高神・天照大御神の息子神・アメノオシホミミに行き着く。
神武天皇の存在自体は、フィクションである可能性が高い。
実在したとされる最古の天皇は10代目の崇神天皇であり、神武天皇と崇神天皇は共にハツクニシラススメラミコト(「初めて天下を治めた天皇」の意)という同じ別名を有していることから、同一人物とする見方もある。
なお、日本が建国された年は、神武天皇の実在が怪しいためはっきりとしていない。
しかし、最低でも崇神天皇の在位期間である3世紀~4世紀頃には天皇家、及び日本国が存在していたことになる。
これは、天皇家=現存する最古の皇族家であり、日本国=現存する世界最古の国家であることを意味している。
さて。
崇神天皇以降(神話的には神武天皇やアメノオシホミミ以降)、天皇はその男系の子孫が代々、万世一系に即位してきた。
ここで問題になるのが、「男系」という言葉の意味だ。
何度説明されても理解してくれない人(例:田○陽子さん)がいるが、男系=男子ではない。
現に、推古天皇や持統天皇など、歴史上6人の女性が天皇に即位している。
よって、男系が継承する=女性は天皇になれない、というわけではない。
天皇になれないのは、女性天皇の子どもである。
何故、女性天皇の子どもは皇位継承権がないのか?
これは、競馬で話をするとわかりやすい。
競馬は何よりも馬の血統を重視する。
世界中の全てのサラブレッドは、その祖先を辿れば必ず三大始祖(ダーレーアラビアン・バイアリーターク・ゴドルフィンアラビアン)に行き着く。
ある馬の血統の記録がどこかで途切れていれば、その馬はサラブレッドとして認められない。
サラブレッドの血統は、大きく2種類に分けられる。
父系(牡系)であるサイアーラインと、母系(牝系)であるファミリーラインだ。
サイアーラインは、その馬の父馬の父馬の父馬…を辿る血統であり、
ファミリーラインは、その馬の母馬の母馬の母馬…を辿る血統である。
例として、三冠馬ディープインパクトの血統を挙げよう。
ディープインパクトの父は、アメリカのダートで大活躍し、後に日本へ輸入された大種牡馬サンデーサイレンスである。
更にサンデーサイレンスの父は、アメリカでリーディングサイアー(一年間で産駒が最も良い成績を残した種牡馬)にもなった大種牡馬ヘイロー。
更に更にヘイローの父は、アメリカと日本を中心に一大系統を築き上げたヘイルトゥリーズンである。
ヘイルトゥリーズンの産駒にはヘイローの他にロベルト等がおり、ロベルトの息子ブライアンズタイムは日本で種牡馬となって、三冠馬ナリタブライアンなどを輩出した。
こうした一大系統を築くようになると、その種牡馬の名前をとって父系を「~系」と呼ぶ。
つまり、日本やアメリカでは、ヘイルトゥリーズン系という大きな父系の血族が繁栄していて、ヘイルトゥリーズン系は更にヘイロー系やロベルト系の血族に分化していくというわけだ。
なお、ヘイルトゥリーズンの始祖はダーレーアラビアンである。
次に、ディープインパクトの母系を辿る。
ディープインパクトの母は、アイルランドで生産されたウインドインハーヘアだ。
ウインドインハーヘアは、父がAlzao、母がBurghclereという血統で、ドイツでG1を勝っている。
Burghclereは目立った競走成績を残していないが、そのまた母のHighclereはヨーロッパのクラシックホース。
Highclereはヨーロッパの重賞勝ち馬を複数輩出し、その内の一頭・Height of Fashionは、母となって、イギリス二冠馬Nashwanなどを産んだ。
これがディープのファミリーラインである。
ここで、ディープの兄弟姉妹にも焦点を当てよう。
サラブレッドにおいて兄弟姉妹という話をした場合、「同じ母馬から生まれた子ども達」を意味する。
つまり、「同じ父馬から生まれた子ども達は兄弟姉妹とはみなさない」ということであり、サラブレッドの近親関係は全て母系が基準となっている。
ディープインパクトの母・ウインドインハーヘアはディープ以外にも、重賞を勝った兄・ブラックタイドや、スプリントで連勝街道を突き進んだ姉・レディブロンドなどを産んだ。
また、ディープの姉・レディブロンドからは、スペシャルウィークとの間にG1帝王賞を制したゴルトブリッツが生まれている。
重要なのは、父馬・母馬ともに、強い子どもを生み出すことが大切である点は同じだが、その直系の後継者として残さなければならない馬は、自身と同性である必要があるということだ。
ディープの父・サンデーサイレンスは、非常に多くの名馬を輩出した大種牡馬だ。
しかし、その種牡馬としてのサンデーサイレンスの後継馬は、優れた種牡馬でなくてはならなかった。
仮にG1を何勝もする名牝を生み出そうとも、その牝馬はサンデーの後継者足り得ないのだ。
例として、エリザベス女王杯を制したサンデー産駒の牝馬・トゥザヴィクトリーを挙げよう。
トゥザヴィクトリーは繁殖入りし、キングカメハメハとの間に、重賞を複数勝っているトゥザグローリーや、今月行われる皐月賞の有力馬の一頭・トゥザワールドを産んだ。
このトゥザヴィクトリーの競走成績が優秀であったのは、サンデーの手柄だ。
しかし、更にその子ども・トゥザグローリーやトゥザワールドが優秀なのは、父であるキングカメハメハや、トゥザヴィクトリーの母系の優秀さとして語られることになる。
子孫の血統表には名が残るが、サイアーライン・ファミリーラインのいずれにおいてもサンデーが直系の先祖として語られることはないのである。
それでは、サンデーの後継者となる種牡馬の成績についてはどうだろうか。
サンデーサイレンスの最高傑作・ディープインパクトは、既にダービー馬・キズナや、三冠牝馬でこの間ドバイでもG1を勝ったジェンティルドンナ等を輩出している名種牡馬である。
また、同じくサンデー産駒のステイゴールドは三冠馬オルフェーブルやゴールドシップを輩出し、スペシャルウィークはブエナビスタやシーザリオを輩出した。
これが、サンデーの父系の血統の優秀さ、及び「サンデーサイレンス系」の繁栄を示している。
一方、ディープの母系、ウインドインハーヘアの後継馬はどうだろうか?
ウインドインハーヘアが産んだ牝馬は複数いるが、その中でこれまでに繁殖牝馬として目立った活躍をしているのはレディブロンドだ。
先述したように、レディブロンドはスペシャルウィークとの配合でG1馬を産んでいる。
残念ながらレディブロンドは既に亡くなっているが、存命の娘にはシンボリクリスエスやアグネスタキオンとの間にできた産駒がいるようだ。
彼女たちには、ウインドインハーヘアの母系を伝えていくという重要な役割が課せられている。
競馬は血統のロマンだ。
一頭の馬の現役生活は通常3年程度と短い。
しかし、その馬が引退し、繁殖に入ると、数年後にはその仔が。
更に数年後には孫が活躍する姿を見ることができる。
競馬以外にも、野球で長嶋茂雄の息子・一茂がプロになったり、もしくは政治家が世襲をしたり。
一族の話は物語になることが多い。
競馬はそのスパンが非常に短いため、競馬=血統の物語として大変に面白いのだ。
ここでもうひとつ、血統ロマンの話として一頭の牝馬の名前を挙げたい。
ハープスター。
来週の桜花賞の大本命であり、とてつもない素質を秘めていると目される怪物だ。
このハープスター、祖母の名前をベガと言う。
牝馬クラシックで桜花賞とオークスを制した名牝である。
史上二頭目となる牝馬三冠のかかったエリザベス女王杯では、残念ながら3着に破れ、偉業の達成はならなかった。
しかし、このエリザベス女王杯の勝ち馬が、奇しくも同じ由来(こと座の一等星)で命名されたホクトベガ(後のダートの女王)であったため、「ベガはベガでもホクトベガ」という実況は伝説となった。
ベガは引退後、繁殖牝馬となり、2年連続でサンデーサイレンスと交配した。
その初年度産駒として生まれたアドマイヤベガは、牡馬クラシックの主役として日本ダービーを制した。
二番目の産駒、アドマイヤボスも重賞を勝っている。
更にティンバーカントリーとの間に生まれた三番仔のアドマイヤドンは朝日FSでG1を初制覇後、ダートに転向して通算でG1を7つ制した。
このように名繁殖牝馬であったベガだったが、残念ながら5頭の産駒を残して早逝してしまった。
うち4頭は牡馬であり、母系としての後継馬はファルブラヴ産駒のヒストリックスター1頭しか残すことができなかった。
ただ一頭しか後継者がいない。
これはベガの母系が断絶する可能性が危ぶまれる状況であった。
ヒストリックスターから優秀な馬が生まれるかわからない。
仮に優秀な繁殖牝馬だったとしても、後継馬を産む前に早死してしまうかもしれない。
しかし、そんな状況下で誕生したのが、ハープスターである。
祖母と同じ、こと座の星の名が付けられたハープスターは、異次元の末脚で新潟2歳Sを圧勝。
続く阪神JFこそ前を捕らえ損ねて2着に敗れたものの、前走チューリップ賞は大外を追い込んで危なげなく楽勝。
来週の桜花賞、続くオークスを制することになれば、世界最高峰のレース・凱旋門賞制覇も夢ではないはずだ。
そして、いずれはハープスターも母となり、その優秀な母系を脈々と伝えていくのだ。
さて。
競馬の話はここまでにして、天皇家の皇位継承に話を戻そう。
天皇の皇位継承者は、サラブレッドで言うところのサイアーライン・男系である。
歴史上、全ての天皇はこのサイアーライン(便宜上これを 神武系 と呼ぶ)を継ぐ者が即位してきた。
このサイアーラインこそが天皇であり、憲法に従って天皇=日本国の象徴であるならば、神武系
=日本国であると言っても過言ではない。
ここで、仮に愛子内親王が天皇になった場合を考えてみよう。
下図に愛子内親王の血統を示した。
愛子内親王の父は今上天皇の息子である徳仁親王であるため、神武系のサイアーラインの直系である。
そのため、愛子内親王が皇位を継承したとしても問題はない。
問題があるのは、愛子内親王の子どもが皇位を継承するケースである。
仮に、愛子内親王が木村という家の男を婿にとり、その木村某との間に生まれた子を天皇にするとしよう。
その子ども・女系天皇の血統を下図に示した。
この場合、女系天皇のサイアーラインは神武系ではなく、木村系となる。
一方、ファミリーライン・女系はどうだろうか?
愛子内親王の母・雅子殿下は小和田家の生まれである。
雅子殿下の母・優美子さんはチッソ元会長・江頭豊の娘だ。
さらに優美子さんの母・寿々子さんは、海軍大将山屋他人の娘。
つまり、愛子内親王の子どもは、サイアーライン・ファミリーラインともに、神武系の天皇家とは血統上関わりがないということになる。
皇位継承を男系に限定していることを、女性差別だと勘違いしている人がいる。
それは違うと説明しても、認めようとしない人がいる。
残念ながら、男系のみに限定された皇位継承は、本当に女性差別ではないのだ。
ただ、初代から天皇は男系が継承してきたから(初期の段階で男系の継承としたことに対して、女性蔑視が無かったとは断言できないが)、今更変えようがないというだけの話なのである。
天皇家に限らず、一族・氏(うじ)は血統に基づいている。
共通の祖先を持っているからこそ、同じ氏であり、天皇家なのだ。
それを無視して、女系天皇などを容認しようというのは、天皇家の存続という目的を重視するあまり、前提である血統を蔑ろにする愚策である。
女系天皇など、絶対に認めてはいけないと断じよう。
幸い、悠仁親王がお生まれになったおかげで、当面の皇位継承問題は据え置きとなった。
しかし、もしも今後、後継者がいなくなるような事態になったとするならば。
まずは、旧宮家から神武系の人間を候補にするべきだろう。
それもうまくいかなければ、天皇制を廃止し、日本国はその歴史に幕を下ろせばいい。
天皇家は日本国と切り離せない、固有にして最大の文化だが、盛者必衰・諸行無常、何物もいずれは失われる。
かつて天皇制が存在した元日本国は、その歴史を伝えつつ、大きくは変わることのない新しい国として再スタートするだろう。
小林よしのり「愛子さまがしゃべったと驚くネトウヨの無知」――愛子さま、学習院女子中等科に入学ニュースを受けて。
http://netouyonews.net/archives/8319677.html
この機会に皇位継承問題についてまとめてみる。
そもそも天皇家とは、現在の奈良県橿原で即位したとされる初代の天皇・神武天皇の一族である。
さらに神武天皇の男系(父親の父親の父親・・・)を辿ると、日本神話の最高神・天照大御神の息子神・アメノオシホミミに行き着く。
神武天皇の存在自体は、フィクションである可能性が高い。
実在したとされる最古の天皇は10代目の崇神天皇であり、神武天皇と崇神天皇は共にハツクニシラススメラミコト(「初めて天下を治めた天皇」の意)という同じ別名を有していることから、同一人物とする見方もある。
なお、日本が建国された年は、神武天皇の実在が怪しいためはっきりとしていない。
しかし、最低でも崇神天皇の在位期間である3世紀~4世紀頃には天皇家、及び日本国が存在していたことになる。
これは、天皇家=現存する最古の皇族家であり、日本国=現存する世界最古の国家であることを意味している。
さて。
崇神天皇以降(神話的には神武天皇やアメノオシホミミ以降)、天皇はその男系の子孫が代々、万世一系に即位してきた。
ここで問題になるのが、「男系」という言葉の意味だ。
何度説明されても理解してくれない人(例:田○陽子さん)がいるが、男系=男子ではない。
現に、推古天皇や持統天皇など、歴史上6人の女性が天皇に即位している。
よって、男系が継承する=女性は天皇になれない、というわけではない。
天皇になれないのは、女性天皇の子どもである。
何故、女性天皇の子どもは皇位継承権がないのか?
これは、競馬で話をするとわかりやすい。
競馬は何よりも馬の血統を重視する。
世界中の全てのサラブレッドは、その祖先を辿れば必ず三大始祖(ダーレーアラビアン・バイアリーターク・ゴドルフィンアラビアン)に行き着く。
ある馬の血統の記録がどこかで途切れていれば、その馬はサラブレッドとして認められない。
サラブレッドの血統は、大きく2種類に分けられる。
父系(牡系)であるサイアーラインと、母系(牝系)であるファミリーラインだ。
サイアーラインは、その馬の父馬の父馬の父馬…を辿る血統であり、
ファミリーラインは、その馬の母馬の母馬の母馬…を辿る血統である。
例として、三冠馬ディープインパクトの血統を挙げよう。
ディープインパクトの父は、アメリカのダートで大活躍し、後に日本へ輸入された大種牡馬サンデーサイレンスである。
更にサンデーサイレンスの父は、アメリカでリーディングサイアー(一年間で産駒が最も良い成績を残した種牡馬)にもなった大種牡馬ヘイロー。
更に更にヘイローの父は、アメリカと日本を中心に一大系統を築き上げたヘイルトゥリーズンである。
ヘイルトゥリーズンの産駒にはヘイローの他にロベルト等がおり、ロベルトの息子ブライアンズタイムは日本で種牡馬となって、三冠馬ナリタブライアンなどを輩出した。
こうした一大系統を築くようになると、その種牡馬の名前をとって父系を「~系」と呼ぶ。
つまり、日本やアメリカでは、ヘイルトゥリーズン系という大きな父系の血族が繁栄していて、ヘイルトゥリーズン系は更にヘイロー系やロベルト系の血族に分化していくというわけだ。
なお、ヘイルトゥリーズンの始祖はダーレーアラビアンである。
次に、ディープインパクトの母系を辿る。
ディープインパクトの母は、アイルランドで生産されたウインドインハーヘアだ。
ウインドインハーヘアは、父がAlzao、母がBurghclereという血統で、ドイツでG1を勝っている。
Burghclereは目立った競走成績を残していないが、そのまた母のHighclereはヨーロッパのクラシックホース。
Highclereはヨーロッパの重賞勝ち馬を複数輩出し、その内の一頭・Height of Fashionは、母となって、イギリス二冠馬Nashwanなどを産んだ。
これがディープのファミリーラインである。
ここで、ディープの兄弟姉妹にも焦点を当てよう。
サラブレッドにおいて兄弟姉妹という話をした場合、「同じ母馬から生まれた子ども達」を意味する。
つまり、「同じ父馬から生まれた子ども達は兄弟姉妹とはみなさない」ということであり、サラブレッドの近親関係は全て母系が基準となっている。
ディープインパクトの母・ウインドインハーヘアはディープ以外にも、重賞を勝った兄・ブラックタイドや、スプリントで連勝街道を突き進んだ姉・レディブロンドなどを産んだ。
また、ディープの姉・レディブロンドからは、スペシャルウィークとの間にG1帝王賞を制したゴルトブリッツが生まれている。
重要なのは、父馬・母馬ともに、強い子どもを生み出すことが大切である点は同じだが、その直系の後継者として残さなければならない馬は、自身と同性である必要があるということだ。
ディープの父・サンデーサイレンスは、非常に多くの名馬を輩出した大種牡馬だ。
しかし、その種牡馬としてのサンデーサイレンスの後継馬は、優れた種牡馬でなくてはならなかった。
仮にG1を何勝もする名牝を生み出そうとも、その牝馬はサンデーの後継者足り得ないのだ。
例として、エリザベス女王杯を制したサンデー産駒の牝馬・トゥザヴィクトリーを挙げよう。
トゥザヴィクトリーは繁殖入りし、キングカメハメハとの間に、重賞を複数勝っているトゥザグローリーや、今月行われる皐月賞の有力馬の一頭・トゥザワールドを産んだ。
このトゥザヴィクトリーの競走成績が優秀であったのは、サンデーの手柄だ。
しかし、更にその子ども・トゥザグローリーやトゥザワールドが優秀なのは、父であるキングカメハメハや、トゥザヴィクトリーの母系の優秀さとして語られることになる。
子孫の血統表には名が残るが、サイアーライン・ファミリーラインのいずれにおいてもサンデーが直系の先祖として語られることはないのである。
それでは、サンデーの後継者となる種牡馬の成績についてはどうだろうか。
サンデーサイレンスの最高傑作・ディープインパクトは、既にダービー馬・キズナや、三冠牝馬でこの間ドバイでもG1を勝ったジェンティルドンナ等を輩出している名種牡馬である。
また、同じくサンデー産駒のステイゴールドは三冠馬オルフェーブルやゴールドシップを輩出し、スペシャルウィークはブエナビスタやシーザリオを輩出した。
これが、サンデーの父系の血統の優秀さ、及び「サンデーサイレンス系」の繁栄を示している。
一方、ディープの母系、ウインドインハーヘアの後継馬はどうだろうか?
ウインドインハーヘアが産んだ牝馬は複数いるが、その中でこれまでに繁殖牝馬として目立った活躍をしているのはレディブロンドだ。
先述したように、レディブロンドはスペシャルウィークとの配合でG1馬を産んでいる。
残念ながらレディブロンドは既に亡くなっているが、存命の娘にはシンボリクリスエスやアグネスタキオンとの間にできた産駒がいるようだ。
彼女たちには、ウインドインハーヘアの母系を伝えていくという重要な役割が課せられている。
競馬は血統のロマンだ。
一頭の馬の現役生活は通常3年程度と短い。
しかし、その馬が引退し、繁殖に入ると、数年後にはその仔が。
更に数年後には孫が活躍する姿を見ることができる。
競馬以外にも、野球で長嶋茂雄の息子・一茂がプロになったり、もしくは政治家が世襲をしたり。
一族の話は物語になることが多い。
競馬はそのスパンが非常に短いため、競馬=血統の物語として大変に面白いのだ。
ここでもうひとつ、血統ロマンの話として一頭の牝馬の名前を挙げたい。
ハープスター。
来週の桜花賞の大本命であり、とてつもない素質を秘めていると目される怪物だ。
このハープスター、祖母の名前をベガと言う。
牝馬クラシックで桜花賞とオークスを制した名牝である。
史上二頭目となる牝馬三冠のかかったエリザベス女王杯では、残念ながら3着に破れ、偉業の達成はならなかった。
しかし、このエリザベス女王杯の勝ち馬が、奇しくも同じ由来(こと座の一等星)で命名されたホクトベガ(後のダートの女王)であったため、「ベガはベガでもホクトベガ」という実況は伝説となった。
ベガは引退後、繁殖牝馬となり、2年連続でサンデーサイレンスと交配した。
その初年度産駒として生まれたアドマイヤベガは、牡馬クラシックの主役として日本ダービーを制した。
二番目の産駒、アドマイヤボスも重賞を勝っている。
更にティンバーカントリーとの間に生まれた三番仔のアドマイヤドンは朝日FSでG1を初制覇後、ダートに転向して通算でG1を7つ制した。
このように名繁殖牝馬であったベガだったが、残念ながら5頭の産駒を残して早逝してしまった。
うち4頭は牡馬であり、母系としての後継馬はファルブラヴ産駒のヒストリックスター1頭しか残すことができなかった。
ただ一頭しか後継者がいない。
これはベガの母系が断絶する可能性が危ぶまれる状況であった。
ヒストリックスターから優秀な馬が生まれるかわからない。
仮に優秀な繁殖牝馬だったとしても、後継馬を産む前に早死してしまうかもしれない。
しかし、そんな状況下で誕生したのが、ハープスターである。
祖母と同じ、こと座の星の名が付けられたハープスターは、異次元の末脚で新潟2歳Sを圧勝。
続く阪神JFこそ前を捕らえ損ねて2着に敗れたものの、前走チューリップ賞は大外を追い込んで危なげなく楽勝。
来週の桜花賞、続くオークスを制することになれば、世界最高峰のレース・凱旋門賞制覇も夢ではないはずだ。
そして、いずれはハープスターも母となり、その優秀な母系を脈々と伝えていくのだ。
さて。
競馬の話はここまでにして、天皇家の皇位継承に話を戻そう。
天皇の皇位継承者は、サラブレッドで言うところのサイアーライン・男系である。
歴史上、全ての天皇はこのサイアーライン(便宜上これを 神武系 と呼ぶ)を継ぐ者が即位してきた。
このサイアーラインこそが天皇であり、憲法に従って天皇=日本国の象徴であるならば、神武系
=日本国であると言っても過言ではない。
ここで、仮に愛子内親王が天皇になった場合を考えてみよう。
下図に愛子内親王の血統を示した。
愛子内親王の父は今上天皇の息子である徳仁親王であるため、神武系のサイアーラインの直系である。
そのため、愛子内親王が皇位を継承したとしても問題はない。
問題があるのは、愛子内親王の子どもが皇位を継承するケースである。
仮に、愛子内親王が木村という家の男を婿にとり、その木村某との間に生まれた子を天皇にするとしよう。
その子ども・女系天皇の血統を下図に示した。
この場合、女系天皇のサイアーラインは神武系ではなく、木村系となる。
一方、ファミリーライン・女系はどうだろうか?
愛子内親王の母・雅子殿下は小和田家の生まれである。
雅子殿下の母・優美子さんはチッソ元会長・江頭豊の娘だ。
さらに優美子さんの母・寿々子さんは、海軍大将山屋他人の娘。
つまり、愛子内親王の子どもは、サイアーライン・ファミリーラインともに、神武系の天皇家とは血統上関わりがないということになる。
皇位継承を男系に限定していることを、女性差別だと勘違いしている人がいる。
それは違うと説明しても、認めようとしない人がいる。
残念ながら、男系のみに限定された皇位継承は、本当に女性差別ではないのだ。
ただ、初代から天皇は男系が継承してきたから(初期の段階で男系の継承としたことに対して、女性蔑視が無かったとは断言できないが)、今更変えようがないというだけの話なのである。
天皇家に限らず、一族・氏(うじ)は血統に基づいている。
共通の祖先を持っているからこそ、同じ氏であり、天皇家なのだ。
それを無視して、女系天皇などを容認しようというのは、天皇家の存続という目的を重視するあまり、前提である血統を蔑ろにする愚策である。
女系天皇など、絶対に認めてはいけないと断じよう。
幸い、悠仁親王がお生まれになったおかげで、当面の皇位継承問題は据え置きとなった。
しかし、もしも今後、後継者がいなくなるような事態になったとするならば。
まずは、旧宮家から神武系の人間を候補にするべきだろう。
それもうまくいかなければ、天皇制を廃止し、日本国はその歴史に幕を下ろせばいい。
天皇家は日本国と切り離せない、固有にして最大の文化だが、盛者必衰・諸行無常、何物もいずれは失われる。
かつて天皇制が存在した元日本国は、その歴史を伝えつつ、大きくは変わることのない新しい国として再スタートするだろう。
2014年2月20日木曜日
ソチ五輪関連:竹田氏の発言、そもそも日本を代表するということについて
ソチ五輪開幕から間もなくして、竹田恒泰氏の発言が物議を醸した。
「選手を送り出すのに国費を使っているのだから、負けてへらへらしてんな」
凡そこのような内容だった。
賛否両論(主に批判)あったようだが、私はある程度同感だった。
竹田氏がどのような意図でこのコメントしたのかは置いておいて、私はこの発言を聞いた時、私自身が常々感じていた、日本人スポーツ選手への不満を想起させられたのだ。
それは、日本人は「国を背負う」ということに対して鈍感なところがあるというものだ。
「期待に応えられるよう頑張りたい」だとか。
「先人への感謝の気持を込めて」といった発言がよく見られることから、
私が選手に抱いていて欲しいと願う感覚を、全く理解していないということはないと思うのだが。
やはり、少しズレている。
オリンピックやサッカーのワールドカップなどは、一種の戦争のようなものだと思う。
勝ったからといって領土だの金だの権利だのが得られるわけではなく。
負けたからといって、何かを奪われるわけではない。
ただし、その戦いには、国の威信・プライドが賭けられている。
その戦争のために国民の代表として選ばれるのが、各種目の選手たちだ。
これは、日本国憲法で定められた天皇の立場と似ているのではないだろうか。
天皇は、日本国と日本国民の象徴である。
故に、某国の前大統領のように天皇陛下を侮辱した発言は、日本全ての侮辱であると同義であった。
そして日本代表のスポーツ選手。
これも天皇と同じことだ。
各種目において国を背負い、代表として戦う彼らは、その種目における日本の象徴的存在なのだ。
こういったこと言われると、重いと感じる選手が多いだろう(特に日本人には)。
「自分はその競技が好きだからやってるだけだ」
「国は国、個人は個人。日本代表だろうと、自分は自分」
「勝手に期待して勝手に失望しないでくれ」
勿論、どういう気持ちで競技に挑もうが、それは選手の自由だろう。
期待がプレッシャーにしかならないのであれば、無視したって構わない。
国を背負うという意識が低いのが国民性だと言ってしまえば、それまでの話と言えなくもない。
しかし、問題はもっと根本的なところにあると私は考える。
日本人が国を背負えないのは、遺伝に基づく先天的特性ではなく、学習に基づく後天的特性ではないかと考えているからだ。
要は、愛国心教育が足りないのである。
足りないというか、そもそも無いというか、むしろ自虐的なのだ。
私は韓国が大嫌いだが、ひとつだけ彼らが羨ましいと思うところがある。
それは、彼らは愛国心に満ちているという点だ。
韓国のレベルまでいくと過剰だし、正確には母国を愛しているのではなく日本が嫌いなだけかもしれないが…。
ともかく、サッカーや野球における韓国代表は、日本を相手にすると異様に強いのだ。
どちらの競技にしても、日本代表のレベルは韓国のそれを上回っている。
だが、日韓戦となると、なかなか勝てない。見てるこっちも勝てる気がしない。
韓国は日韓戦となるだけで、通常の数割増しの力を発揮してくるのだ。
何故このような事態になるのか?
簡単だ、モチベーションの違いである。
韓国は、選手もサポーターも「日本だけには負けられない!」という強すぎる気持ちで向かってくる。
対する日本はどうか?
日韓戦と聞いてもメディアが多少“ライバル”と煽るだけで、良くて「隣にあるというだけで、他の国と変わらない」、最悪「互いを高め合う好敵手」という意識を持っている、持たされている。
日本が韓国に「無関心or友好的」に挑むのに対して、韓国は「憎悪と敵愾心」で向かってくる。
勝てないのも道理というものだ。
別に韓国を見習って、反韓教育を行えだとか、「我が国万歳(ウリナラマンセー)」を叫ばせろとは言わない。
しかし、せめてもう少し、日本を代表する者として、誇りを持てるようにして欲しい。
国民の期待を重りではなく、モチベーションに変えられるようになって欲しい。
その辺は安倍ちゃんの道徳教育の改訂にかかっていると思うので、頑張って欲しい。
そんなわけで。
恐らく竹田さんはこういうことが言いたかったんじゃないのかな?と思って書いてみたわけだけれど。
実際のところはわかりません。
それに竹田さんへの批判にあったような、「日本はスポーツ支援に大して金出してない!」というのも事実ではあるのだろうし。
基本的に日本人は、大学出てサラリーマンになるのが普通だから…。
スポーツするより、車や家電作るのがメインだから…。
イチかバチかの夢よりも堅実な道を行くのが国民性だから…。
だから予算が割けないのもしょうがないというのもわかり、しかしオリンピックでメダル取ると嬉しいから頑張って欲しいという想いもあり…。
なかなか難しいジレンマである。
だからこそ、そんな中でも頑張ってメダルを取ることは嬉しいし、誇らしい。
羽生選手が表彰台の真ん中で、しっかり国歌歌ってる姿は本当に素晴らしかった。
「おめでとう」
「お疲れ様」
「感動をありがとう」
頑張って良い成績を残してきた選手に掛ける言葉は数あれど。
私は何より、こう思う。
「日本にメダルをもたらしてくれて、ありがとう」
「選手を送り出すのに国費を使っているのだから、負けてへらへらしてんな」
凡そこのような内容だった。
賛否両論(主に批判)あったようだが、私はある程度同感だった。
竹田氏がどのような意図でこのコメントしたのかは置いておいて、私はこの発言を聞いた時、私自身が常々感じていた、日本人スポーツ選手への不満を想起させられたのだ。
それは、日本人は「国を背負う」ということに対して鈍感なところがあるというものだ。
「期待に応えられるよう頑張りたい」だとか。
「先人への感謝の気持を込めて」といった発言がよく見られることから、
私が選手に抱いていて欲しいと願う感覚を、全く理解していないということはないと思うのだが。
やはり、少しズレている。
オリンピックやサッカーのワールドカップなどは、一種の戦争のようなものだと思う。
勝ったからといって領土だの金だの権利だのが得られるわけではなく。
負けたからといって、何かを奪われるわけではない。
ただし、その戦いには、国の威信・プライドが賭けられている。
その戦争のために国民の代表として選ばれるのが、各種目の選手たちだ。
これは、日本国憲法で定められた天皇の立場と似ているのではないだろうか。
天皇は、日本国と日本国民の象徴である。
故に、某国の前大統領のように天皇陛下を侮辱した発言は、日本全ての侮辱であると同義であった。
そして日本代表のスポーツ選手。
これも天皇と同じことだ。
各種目において国を背負い、代表として戦う彼らは、その種目における日本の象徴的存在なのだ。
こういったこと言われると、重いと感じる選手が多いだろう(特に日本人には)。
「自分はその競技が好きだからやってるだけだ」
「国は国、個人は個人。日本代表だろうと、自分は自分」
「勝手に期待して勝手に失望しないでくれ」
勿論、どういう気持ちで競技に挑もうが、それは選手の自由だろう。
期待がプレッシャーにしかならないのであれば、無視したって構わない。
国を背負うという意識が低いのが国民性だと言ってしまえば、それまでの話と言えなくもない。
しかし、問題はもっと根本的なところにあると私は考える。
日本人が国を背負えないのは、遺伝に基づく先天的特性ではなく、学習に基づく後天的特性ではないかと考えているからだ。
要は、愛国心教育が足りないのである。
足りないというか、そもそも無いというか、むしろ自虐的なのだ。
私は韓国が大嫌いだが、ひとつだけ彼らが羨ましいと思うところがある。
それは、彼らは愛国心に満ちているという点だ。
韓国のレベルまでいくと過剰だし、正確には母国を愛しているのではなく日本が嫌いなだけかもしれないが…。
ともかく、サッカーや野球における韓国代表は、日本を相手にすると異様に強いのだ。
どちらの競技にしても、日本代表のレベルは韓国のそれを上回っている。
だが、日韓戦となると、なかなか勝てない。見てるこっちも勝てる気がしない。
韓国は日韓戦となるだけで、通常の数割増しの力を発揮してくるのだ。
何故このような事態になるのか?
簡単だ、モチベーションの違いである。
韓国は、選手もサポーターも「日本だけには負けられない!」という強すぎる気持ちで向かってくる。
対する日本はどうか?
日韓戦と聞いてもメディアが多少“ライバル”と煽るだけで、良くて「隣にあるというだけで、他の国と変わらない」、最悪「互いを高め合う好敵手」という意識を持っている、持たされている。
日本が韓国に「無関心or友好的」に挑むのに対して、韓国は「憎悪と敵愾心」で向かってくる。
勝てないのも道理というものだ。
別に韓国を見習って、反韓教育を行えだとか、「我が国万歳(ウリナラマンセー)」を叫ばせろとは言わない。
しかし、せめてもう少し、日本を代表する者として、誇りを持てるようにして欲しい。
国民の期待を重りではなく、モチベーションに変えられるようになって欲しい。
その辺は安倍ちゃんの道徳教育の改訂にかかっていると思うので、頑張って欲しい。
そんなわけで。
恐らく竹田さんはこういうことが言いたかったんじゃないのかな?と思って書いてみたわけだけれど。
実際のところはわかりません。
それに竹田さんへの批判にあったような、「日本はスポーツ支援に大して金出してない!」というのも事実ではあるのだろうし。
基本的に日本人は、大学出てサラリーマンになるのが普通だから…。
スポーツするより、車や家電作るのがメインだから…。
イチかバチかの夢よりも堅実な道を行くのが国民性だから…。
だから予算が割けないのもしょうがないというのもわかり、しかしオリンピックでメダル取ると嬉しいから頑張って欲しいという想いもあり…。
なかなか難しいジレンマである。
だからこそ、そんな中でも頑張ってメダルを取ることは嬉しいし、誇らしい。
羽生選手が表彰台の真ん中で、しっかり国歌歌ってる姿は本当に素晴らしかった。
「おめでとう」
「お疲れ様」
「感動をありがとう」
頑張って良い成績を残してきた選手に掛ける言葉は数あれど。
私は何より、こう思う。
「日本にメダルをもたらしてくれて、ありがとう」
2014年2月7日金曜日
佐村河内事件におけるマスコミの責任
全聾の作曲家・佐村河内守氏は自身で作曲をしておらず、新垣隆氏がゴーストライターを務めていたことが明らかになった。
また、16万枚ほどを売り上げたという『HIROSHIMA』は、はじめ『現代典礼』というタイトルで創作されたことも明かされた。
「典礼」はキリスト教の儀式を指す言葉なので、原爆など一切関係ない宗教音楽だったということだろう。
「被爆二世だという佐村河内氏」が「原爆」をテーマに作曲した楽曲である、という付加価値は非常に大きいものだったはずだ。
新垣氏による『HIROSHIMA』がいかに優れた楽曲であったとしても、付加価値を失った評価は急落を避けられない。
最大の問題点は、新垣氏が会見で明かした「佐村河内氏は全聾ではない」という証言だ。
録音した曲を佐村河内氏が耳で聴いてチェックしていたという。
これが事実であれば、佐村河内氏は相当に悪質な詐欺師であると言わざるをえない。
今回、新垣氏は「共犯者としての謝罪」という形で会見を行った。
この際、同様に共犯者として扱われるべき存在がいる。
佐村河内氏の特集番組を制作・放送したマスコミだ。
彼の特集は、wikiによれば『NHKスペシャル』、『金スマ』、『めざましテレビ』で放送されたという。
この内、『NHKスペシャル』、『金スマ』を私は昨日・今日で視聴した。
『金スマ』に関しては、おそらく取材回数自体が少なかったのだろう。
主に自伝の再現VTRと、SMAP稲垣の直接取材という構成だった。
その中には、稲垣が佐村河内氏の背後から、「(これが)HIROSHIMA(の楽譜)ですか?」と話しかけ、一切稲垣の口も手話も見ず、「そうですね」と返答しているシーンが映っている。
返答の後で手話を見ていたが、十中八九聞こえていたのだろう。
しかし、取材の少なさから、彼のトリックを見抜くことができなかったとしても不思議ではない。
問題はNHKだ。
NHKは複数回に渡り、密着した取材を行っている。
作曲の瞬間は「神聖なものだから」という理由で取材拒否をされたとのことで、これについては芸術家特有の拘り、気難しさとして納得できる。
故に、NHKが謝罪した「ゴーストライターを見抜けなかった」ことについては問題ないと考える。
しかし、全聾であるという嘘くらいには気付いて然るべきではなかったのか。
取材に同行した手話通訳者を用意したのが佐村河内氏側だったのかNHK側だったのかは不明だが、仮に後者だった場合、手話通訳者は違和感を覚えなかったのか。
もし、NHKが彼の嘘に気付きつつ見逃していたとすれば、NHKも立派な共犯者だ。
逆に、こんなことにすら全く気付けなかったのだとすれば、NHKの取材能力を疑わずにいられない。
公平だの中立だのを謳うNHKだが、案外、彼らも演出に気を使う。
私が大学生だった時分、ゼミの教授がNHKの番組に特集される機会があった。
その際、「研究してる画が欲しいから、暇なゼミ生は集まって欲しい」と前もって教授から言われていた(これがNHKからの要請なのか、教授の考えだったのかは知らない)。
私は集まらなかったが、後日、放送された番組を見た。
冒頭、いかにも「我々のゼミではこんな実験をしています!」という実験場面の画から放送が始まっていたが、実態とはかなり異なる。
まず、そのゼミでは、各々研究テーマが全く異なるため、「ゼミとしての研究」といったものはない。
週イチで行われるゼミでは、各々の研究テーマについて、調べてきたことや研究の進捗状況などをプレゼンするだけのもの。
それ以外に、実験等でゼミ生同士が集まる機会は一切ない。
また、冒頭の実験場面(教授が実験者となり、ゼミ生が被験者となっていた)で道具が用いられたが、これは教授自身が行う最近の実験では使われないものだった。
多忙で実験機会自体が少なくなっている教授だが、実験の際には外部の研究施設にて、もっと大掛かりな装置を利用しているとのことだった。
結局は、インパクト重視な演出だったのだ。
「いかにも!」な画が欲しかったのだろう。
そのために実態とズレた行動を出演者に求める。
民放ほどにヤラセがなくクリーンなイメージがあるかもしれないNHKだが。
所詮、NHKも同じ穴の狢に過ぎないのだ。
また、16万枚ほどを売り上げたという『HIROSHIMA』は、はじめ『現代典礼』というタイトルで創作されたことも明かされた。
「典礼」はキリスト教の儀式を指す言葉なので、原爆など一切関係ない宗教音楽だったということだろう。
「被爆二世だという佐村河内氏」が「原爆」をテーマに作曲した楽曲である、という付加価値は非常に大きいものだったはずだ。
新垣氏による『HIROSHIMA』がいかに優れた楽曲であったとしても、付加価値を失った評価は急落を避けられない。
最大の問題点は、新垣氏が会見で明かした「佐村河内氏は全聾ではない」という証言だ。
録音した曲を佐村河内氏が耳で聴いてチェックしていたという。
これが事実であれば、佐村河内氏は相当に悪質な詐欺師であると言わざるをえない。
今回、新垣氏は「共犯者としての謝罪」という形で会見を行った。
この際、同様に共犯者として扱われるべき存在がいる。
佐村河内氏の特集番組を制作・放送したマスコミだ。
彼の特集は、wikiによれば『NHKスペシャル』、『金スマ』、『めざましテレビ』で放送されたという。
この内、『NHKスペシャル』、『金スマ』を私は昨日・今日で視聴した。
『金スマ』に関しては、おそらく取材回数自体が少なかったのだろう。
主に自伝の再現VTRと、SMAP稲垣の直接取材という構成だった。
その中には、稲垣が佐村河内氏の背後から、「(これが)HIROSHIMA(の楽譜)ですか?」と話しかけ、一切稲垣の口も手話も見ず、「そうですね」と返答しているシーンが映っている。
返答の後で手話を見ていたが、十中八九聞こえていたのだろう。
しかし、取材の少なさから、彼のトリックを見抜くことができなかったとしても不思議ではない。
問題はNHKだ。
NHKは複数回に渡り、密着した取材を行っている。
作曲の瞬間は「神聖なものだから」という理由で取材拒否をされたとのことで、これについては芸術家特有の拘り、気難しさとして納得できる。
故に、NHKが謝罪した「ゴーストライターを見抜けなかった」ことについては問題ないと考える。
しかし、全聾であるという嘘くらいには気付いて然るべきではなかったのか。
取材に同行した手話通訳者を用意したのが佐村河内氏側だったのかNHK側だったのかは不明だが、仮に後者だった場合、手話通訳者は違和感を覚えなかったのか。
もし、NHKが彼の嘘に気付きつつ見逃していたとすれば、NHKも立派な共犯者だ。
逆に、こんなことにすら全く気付けなかったのだとすれば、NHKの取材能力を疑わずにいられない。
公平だの中立だのを謳うNHKだが、案外、彼らも演出に気を使う。
私が大学生だった時分、ゼミの教授がNHKの番組に特集される機会があった。
その際、「研究してる画が欲しいから、暇なゼミ生は集まって欲しい」と前もって教授から言われていた(これがNHKからの要請なのか、教授の考えだったのかは知らない)。
私は集まらなかったが、後日、放送された番組を見た。
冒頭、いかにも「我々のゼミではこんな実験をしています!」という実験場面の画から放送が始まっていたが、実態とはかなり異なる。
まず、そのゼミでは、各々研究テーマが全く異なるため、「ゼミとしての研究」といったものはない。
週イチで行われるゼミでは、各々の研究テーマについて、調べてきたことや研究の進捗状況などをプレゼンするだけのもの。
それ以外に、実験等でゼミ生同士が集まる機会は一切ない。
また、冒頭の実験場面(教授が実験者となり、ゼミ生が被験者となっていた)で道具が用いられたが、これは教授自身が行う最近の実験では使われないものだった。
多忙で実験機会自体が少なくなっている教授だが、実験の際には外部の研究施設にて、もっと大掛かりな装置を利用しているとのことだった。
結局は、インパクト重視な演出だったのだ。
「いかにも!」な画が欲しかったのだろう。
そのために実態とズレた行動を出演者に求める。
民放ほどにヤラセがなくクリーンなイメージがあるかもしれないNHKだが。
所詮、NHKも同じ穴の狢に過ぎないのだ。
2014年1月29日水曜日
ファミマがフォアグラ弁当販売中止
> ファミリーマートは24日、28日に予定していた「ファミマプレミアム黒毛和牛入り ハンバーグ弁当~フォアグラパテ添え」の発売を取りやめると発表した。 フォアグラについて消費者から「残酷な食べ物だ」と指摘があったという。
> フォアグラは、ガチョウやカモなどに大量の餌を食べさせ脂肪肝の状態にした肝臓で、 フランス料理などに使われる食材。
> ファミマは「一般的に受け入れられている食材と認識して発売を決めていた。不快に思われた方には申し訳ない」(広報担当者)としている。
> http://www.47news.jp/smp/CN/201401/CN2014012401001950.html
> フォアグラは、ガチョウやカモなどに大量の餌を食べさせ脂肪肝の状態にした肝臓で、 フランス料理などに使われる食材。
> ファミマは「一般的に受け入れられている食材と認識して発売を決めていた。不快に思われた方には申し訳ない」(広報担当者)としている。
> http://www.47news.jp/smp/CN/201401/CN2014012401001950.html
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1786019.html
「文化にケチつけんな」
一言で言えばこれだけの話なのだが。
フォアグラの材料となるガチョウやアヒルは、その飼育過程で身動きできない環境下に置かれ、人の手で無理矢理に餌を流し込まれる。
これを残酷として、動物愛護団体などが抗議。
カリフォルニア州等では販売が禁止されている。
残酷といえば、日本でもケネディ大使がイルカ漁を批難。
日本のネット上でも、韓国の犬鍋(傷めつけてから殺した肉が美味いのだとか)などを中傷している。
「余所は余所、うちはうち」でいいんだから、一々難癖つけたり、避難されて過剰反応したりすることも本来ないと思うのだが。
未だに西洋は自己中心的文化観を持っているというか、自分たちに理解できないものは野蛮だと拒絶し、バッシングしているように感じられる。
それに対して、「西洋に倣え」を明治から続けている日本人にも呆れ果てたものではある。
さて。
では、食のための残酷行為は果たしてどれだけ問題なのだろうか?
フォアグラの飼育過程の残酷さは、確かに否定出来ない。
しかし、ならば他の家畜は問題ないのだろうか?
結局は人間の食用としてこの世に生を受け、飼育され、屠殺されるのが定めだ。
結果が変わらない以上、その過程がどうであろうと、容認するのも拒絶するのも人間のエゴに過ぎない。
畜産でなくても、例えば漁業。
生きて泳いでる魚をとるのは残酷ではないのか?
人間に食べられるために生まれてきた家畜より、生存するために生まれてきた野生生物を殺す方が、私には残酷に思える。
結局は、生存競争だ。
人間は下手に、圧倒的に地球を征服してしまったせいで、他の動物の保護にやっきになりがちだと感じられてならない。
人間としての主観を離れ、自然界を客観的に見渡した時。
そこに見えてくるのは、ヒトという種が食物連鎖の最上位にあるというただの構図だけだ。
残るのは人間が他の生物に勝ち得た、生殺与奪の権利。
その行使は人間の意思に委ねられている。
今回の問題は、その人間の意思が個々人、社会や文化によって異なるという点だ。
つまり、エゴとエゴの対決である。
どちらが正しいということもなく、どちらが間違っているということもない。
ただ、私見で一言申すのであれば。
いちいち揉めるな。
嫌なら食うな。食ってるやつを見るな。
自分たちの権利なんかを侵害されない限り、余所の文化にケチなどつけない方がいいということである。
――と、私自身も「動物愛護団体によるクレーム」という文化にケチをつけているというのが、今回のオチでした。
NHK籾井新会長への失望
NHKの新会長に就任した籾井氏が、以下のように発言
> ――慰安婦を巡る問題については。
> 戦時中だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、この問題はどこの国にもあったこと。
> ――戦争していた国すべてに、慰安婦がいたということか。
> 韓国だけにあったと思っているのか。戦争地域にはどこでもあったと思っている。ドイツやフランスにはなかったと言えるのか。ヨーロッパはどこでもあった。なぜオランダには今も飾り窓があるのか。
> ――証拠があっての発言か。
> 慰安婦そのものは、今のモラルでは悪い。だが、従軍慰安婦はそのときの現実としてあったこと。会長の職はさておき、韓国は日本だけが強制連行をしたみたいなことを言うからややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜ蒸し返すのか。おかしい。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/25/nhk-confort-women_n_4665033.html
これを聞いた時の私は「よく言った!」と感心した。
NHKと言えば、公平・中立の立場を取る公共報道機関である。
しかし、最近ではその中立性が全く見られない。
顕著だったのは、自民党が強行採決した特定秘密保護法案の一件。
NHKは反対する市民団体の抗議の様子、野党の抵抗を熱心に報じ、それに共感(おそらく流されているだけだろうが)した市民の声を積極的に報じた。
NHKが特定秘密保護法案に対して、反対の立場をとっていたことは明白である。
――何歩か譲って、NHKと言えども、一法案に対してマスコミが賛成・反対の立場を取ることは許容範囲内であるかもしれない。
しかし、反対意見を煽る過程で、自民党(安倍政権)の強硬姿勢を批難するような報道の仕方は、自民党に対するネガティヴキャンペーンとして映った。
これは、中立性を明らかに欠いた報道であったと言えよう。
(なお、この時の問題に関して中立的だったと評価できる番組は、私の見ていた限りミヤネ屋だけだった)
今やNHKは、フジテレビと並ぶ売国テレビ局となっている。
だからこそ、籾井新会長の発言は大いに歓迎できるものだった。
彼の手腕で、NHKは中国や韓国の魔の手から逃れられるかもしれない。
日本人のための、真の公平・中立な報道機関として再生されるかもしれない。
しかし、残念ながら前途は多難だ。
安倍首相は「コメントは差し控える」といった表現だったが、事実上の容認。
橋下大阪市長は同意見であるため賛意を表した。
一方、民主党やマスコミといったサヨクは一斉に批難の声を上げた。
発言から二日、籾井氏は発言を「不適当だった」と撤回した。
今回の突っ込みどころは2点。
① 発言内容
従軍慰安婦は、強制連行が行われた証拠がない。
他の国もやっている(朝鮮戦争やベトナム戦争で韓国もやっている)。
日韓併合時の問題は、条約で完全かつ最終的に解決済み。
――以上のことから、本来「従軍慰安婦問題」など存在すらしていない。
あえて問題とするなら、
日本人の詐欺師がありもしない慰安婦強制連行を吹聴したこと。
朝日新聞等、売国奴が乗っかったこと。
韓国が反日政策に利用したこと。
宮沢内閣・河野談話で、根拠なく慰安婦強制連行を認めてしまったこと。
既成事実となった従軍慰安婦を韓国が外交カードに利用していること。
――これが、真の「従軍慰安婦問題」である。
今回の籾井氏の発言は、前者の「虚実としての従軍慰安婦問題」を否定しただけだ。
これは国際的認知度はさておき、既に国内ではほとんどの人が知っているのではないか(…まだ知らない人も多いのかなぁ?)
つまり、決着済みの問題を改めて発言しただけなので、問題視される道理はない。
② 公共報道機関としてのNHKのあり方
NHKの利益の9割以上は受信料である。
政府から独立した機関として存在し、国民から資金を巻き上げるお金を出してもらうことで、公平・中立な番組作りをしていこうというのが、彼らの存在意義である(少なくとも表向きには)
現実には、全く中立になれていないというのは前述の通りだが。
まず、国民から受信料を強制徴収しておきながら、海外にも発信しているという点がタチが悪い。
所詮、サービス業といえばサービス業なので、お客様(視聴者)の顔色を窺ってしまうことは避けられない。
その結果だろうか、はたまた良からぬ関係でもあるのだろうか?
NHKは常に中国や韓国に“配慮”をする。
犬HKと揶揄される所以である。
日本人から受信料を巻き上げ、敵性国家に尻尾を振るとは何事か。
日本人の金で流す放送は、日本人のための放送であって然るべきである。
また、この受信料が強制徴収であるという点。
受信できる機械(TV・ワンセグ)を保持している限り、必ず支払わなければならないという問題だ。
民放であれば、どれだけ売国しようが偏向しようが、自由といえば自由である。
「嫌なら見るな」の論理に従い、「嫌だから見なければいい」のだ。
視聴率が下がればスポンサーも離れ、やがて放送ができなくなる。
あとは倒産するか、方針転換するかの選択だ。
しかし、NHKは違う。
強制徴収の受信料で成り立っている彼らは、どれだけ偏向しようが売国しようが、日本の法と国民の財産によって、存在を守られているだ。
全くもって、腹が立って仕方がない。
籾井で改革できなければ、NHKはもう駄目だろう。
国営放送として政府が税金で運営するか、もしくは受信料の義務化を解除するしかない。
どちらでもいいから早く売国NHKはいなくなって欲しいものだ。
犬、あっちいけ
> ――慰安婦を巡る問題については。
> 戦時中だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、この問題はどこの国にもあったこと。
> ――戦争していた国すべてに、慰安婦がいたということか。
> 韓国だけにあったと思っているのか。戦争地域にはどこでもあったと思っている。ドイツやフランスにはなかったと言えるのか。ヨーロッパはどこでもあった。なぜオランダには今も飾り窓があるのか。
> ――証拠があっての発言か。
> 慰安婦そのものは、今のモラルでは悪い。だが、従軍慰安婦はそのときの現実としてあったこと。会長の職はさておき、韓国は日本だけが強制連行をしたみたいなことを言うからややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜ蒸し返すのか。おかしい。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/25/nhk-confort-women_n_4665033.html
これを聞いた時の私は「よく言った!」と感心した。
NHKと言えば、公平・中立の立場を取る公共報道機関である。
しかし、最近ではその中立性が全く見られない。
顕著だったのは、自民党が強行採決した特定秘密保護法案の一件。
NHKは反対する市民団体の抗議の様子、野党の抵抗を熱心に報じ、それに共感(おそらく流されているだけだろうが)した市民の声を積極的に報じた。
NHKが特定秘密保護法案に対して、反対の立場をとっていたことは明白である。
――何歩か譲って、NHKと言えども、一法案に対してマスコミが賛成・反対の立場を取ることは許容範囲内であるかもしれない。
しかし、反対意見を煽る過程で、自民党(安倍政権)の強硬姿勢を批難するような報道の仕方は、自民党に対するネガティヴキャンペーンとして映った。
これは、中立性を明らかに欠いた報道であったと言えよう。
(なお、この時の問題に関して中立的だったと評価できる番組は、私の見ていた限りミヤネ屋だけだった)
今やNHKは、フジテレビと並ぶ売国テレビ局となっている。
だからこそ、籾井新会長の発言は大いに歓迎できるものだった。
彼の手腕で、NHKは中国や韓国の魔の手から逃れられるかもしれない。
日本人のための、真の公平・中立な報道機関として再生されるかもしれない。
しかし、残念ながら前途は多難だ。
安倍首相は「コメントは差し控える」といった表現だったが、事実上の容認。
橋下大阪市長は同意見であるため賛意を表した。
一方、民主党やマスコミといったサヨクは一斉に批難の声を上げた。
発言から二日、籾井氏は発言を「不適当だった」と撤回した。
今回の突っ込みどころは2点。
① 発言内容
従軍慰安婦は、強制連行が行われた証拠がない。
他の国もやっている(朝鮮戦争やベトナム戦争で韓国もやっている)。
日韓併合時の問題は、条約で完全かつ最終的に解決済み。
――以上のことから、本来「従軍慰安婦問題」など存在すらしていない。
あえて問題とするなら、
日本人の詐欺師がありもしない慰安婦強制連行を吹聴したこと。
朝日新聞等、売国奴が乗っかったこと。
韓国が反日政策に利用したこと。
宮沢内閣・河野談話で、根拠なく慰安婦強制連行を認めてしまったこと。
既成事実となった従軍慰安婦を韓国が外交カードに利用していること。
――これが、真の「従軍慰安婦問題」である。
今回の籾井氏の発言は、前者の「虚実としての従軍慰安婦問題」を否定しただけだ。
これは国際的認知度はさておき、既に国内ではほとんどの人が知っているのではないか(…まだ知らない人も多いのかなぁ?)
つまり、決着済みの問題を改めて発言しただけなので、問題視される道理はない。
② 公共報道機関としてのNHKのあり方
NHKの利益の9割以上は受信料である。
政府から独立した機関として存在し、国民から
現実には、全く中立になれていないというのは前述の通りだが。
まず、国民から受信料を強制徴収しておきながら、海外にも発信しているという点がタチが悪い。
所詮、サービス業といえばサービス業なので、お客様(視聴者)の顔色を窺ってしまうことは避けられない。
その結果だろうか、はたまた良からぬ関係でもあるのだろうか?
NHKは常に中国や韓国に“配慮”をする。
犬HKと揶揄される所以である。
日本人から受信料を巻き上げ、敵性国家に尻尾を振るとは何事か。
日本人の金で流す放送は、日本人のための放送であって然るべきである。
また、この受信料が強制徴収であるという点。
受信できる機械(TV・ワンセグ)を保持している限り、必ず支払わなければならないという問題だ。
民放であれば、どれだけ売国しようが偏向しようが、自由といえば自由である。
「嫌なら見るな」の論理に従い、「嫌だから見なければいい」のだ。
視聴率が下がればスポンサーも離れ、やがて放送ができなくなる。
あとは倒産するか、方針転換するかの選択だ。
しかし、NHKは違う。
強制徴収の受信料で成り立っている彼らは、どれだけ偏向しようが売国しようが、日本の法と国民の財産によって、存在を守られているだ。
全くもって、腹が立って仕方がない。
籾井で改革できなければ、NHKはもう駄目だろう。
国営放送として政府が税金で運営するか、もしくは受信料の義務化を解除するしかない。
どちらでもいいから早く売国NHKはいなくなって欲しいものだ。
犬、あっちいけ
2014年1月17日金曜日
小泉劇場第二幕か?~東京都知事選挙~
ろくな候補がいません。
東国原さんでもいいから出て下さい。
間近に迫った都知事選。
現状、知事の座を争うのは3名。
連立内閣で自民党を下野させた元首相・細川氏
大臣経験者・舛添氏
元航空幕僚長・田母神氏
一歩リードしていると思われるのは細川氏。
バックに政治ニュースの視聴率男・小泉氏がついているのは大きい。
マスゴミも高視聴率が狙える点、及び細川氏の政治思想への共感(あるいは利害の一致)があってか、3大候補者の中でもトップで紹介している。
こういったやり方は、政治関心の薄い有権者を強く惹きつける。
目立つから。
目立つだけで。
小泉劇場や民主党へ政権交代した時と同じ構図が描かれるのではないかと危惧される。
そんな細川氏の公約は「即・原発ゼロ」だ。
小泉氏に言わせれば「東京が原発なしでやるという姿を見せれば、必ず日本を変えることができる」らしい。
しかし、本当にできるのか?
実施こそされなかったものの、昨夏も計画停電のスケジュールが発表された。
太陽光や風力といった自然エネルギーは、現状、原発で得られる電力には程遠い。
結局、火力発電が中心となるわけだが、燃料は国内で入手することはできないため、足元を見られながら中東等から輸入している。
もし何かあって、「ハル・ノート」を再び突きつけられるような事態になれば、日本は干上がってしまうだろう。
「原発ゼロ」を訴える人は、福一の事故以来大きく増えた。
しかし、「原発ゼロ」で日本の電力・経済を支えられる根拠を明確に提示できた人を私は知らない。
今回の小泉氏も、現状では「(もしも)東京が成功すれば」と仮定の話を述べただけだ。
本当に「原発ゼロ」が可能ならば、一部の原発利権者の抵抗はあるだろうがそれを押しのけ、とっくに脱原発がなされているのではないか。
しかし現実には、「脱原発」は意見の一つに過ぎず、実行されるとはとても思えない。
それ程に、現代日本に強く根付いてしまっている難しい問題だと言えるだろう。
口で理想を言うだけならば簡単だ。
しかし、現実にするのは難しいということは、先の民主党政権で国民は皆、身を持って知ったはずだ。
日本人は具体案のない「トラスト・ミー」には懲り懲りなのである。
さて、小泉氏の「トラスト・ミー」は信じられるのだろうか?
一見無理に思えることでも、強いリーダーシップに導かれれば、案外困難な壁は打倒できたりするものだと思う。
そして、強いリーダーシップと言えば、近年の政治家における代表格が小泉氏だ。
だから、そこまで「即・原発ゼロ」を言うなら、小泉氏本人が出馬すればいい。
それを何故、細川氏を前に出し、自分は客寄せパンダに徹しようというのか?
自民党、あるいは息子である進次郎氏への配慮?
単に自信がないからではないのか?
政界から引退した者がご立派に理想論を語っても、鳩山同様に滑稽なだけだ。
細川都知事誕生には、ご遠慮申し上げたい。
陶芸家を持ち出すくらいなら、発明家のドクター中松氏でも大差なかろう。
では、他の候補者はどうだろうか。
かつて大臣を経験し、政治家としての経験・能力に最も秀でているであろう人物が舛添氏だ。
都民が小泉劇場を嫌えば、自民党の推薦も得ている彼が当選する可能性も高い。
しかしこの男、朝鮮飲みをしている…。
朝鮮飲みとは、目上の人への配慮として、コップの飲み口を手で覆い隠すという朝鮮の作法である。
民主党政権の3総理はいずれもこの作法を行っていた。
中でも野田氏は、韓国民団に対し、選挙応援のお礼をしている。
どんな応援があり、どんなお返しをしたのかはさて置くが、外国人が選挙に影響を及ぼすことは日本国民の主権を侵害される恐れがあるため、大きな問題なのである。
舛添は大丈夫なのか?
現在、在日疑惑やら、姉が生活保護やらという話が出ているが、それらもさて置き。
しかし、少なくとも朝鮮飲みをしているという時点で、朝鮮に対して何がしかの配慮を必要とする立場にいるのだろうと推測される。
であれば、彼が知事になった時に何が起こるだろうか?
最も憂慮すべきは、平昌オリンピックへの協力である。
2018年、韓国の平昌にて冬季オリンピックが開催されることが決定している。
しかし、この平昌、何と積雪が少ないらしい。
道路の整備も進んでおらず、開催が危ぶまれているとのこと。
この現状に、2020年の夏季オリンピック開催地が東京に決まったことを受け、日韓が協力して準備しようという話が一部で出ている。
お ・ こ ・ と ・ わ ・ り
である。
東京五輪は韓国からの協力なんぞ必要ないし、韓国への協力は金を毟られるだけだ。
しかし、いつまでも日中韓を一括りにしておきたい、一括りでないといけないと思い込んでいる者も多い。
中国・韓国はもう無視しても構わないんだという「脱東亜論」、日本の新たなグローバリズムの浸透をより早く進める必要性を感じるところだ。
舛添氏は、その障害になりかねない。
本当にそうと断言できるわけではないが、リスクがあることは確かだ。
よって、舛添氏もナシ。
最後に、田母神氏。
彼の場合、政治家としての経験がないことと、失言で自滅しそうなところが大きな難点か。
加えて、他の二人よりも「東京五輪の顔」からかけ離れすぎている感がある。
しかし、元空幕長という経歴は、東京が抱える大災害への不安という面に対しては、期待できる対応能力が抜きん出ている。
マスコミが取り上げることは少ないが、ネット上ではそれなりに支持者もいる。
他の候補者が自滅した時には面白いかもしれない、競馬に例えれば穴人気しそうな人物だ。
以上が、現在までの有力候補である。
やはり、役者が不足していると感じられる。
公示までは残り少ないが、最後まで新たな大物の登場に期待したい。
東国原さんでもいいから出て下さい。
間近に迫った都知事選。
現状、知事の座を争うのは3名。
連立内閣で自民党を下野させた元首相・細川氏
大臣経験者・舛添氏
元航空幕僚長・田母神氏
一歩リードしていると思われるのは細川氏。
バックに政治ニュースの視聴率男・小泉氏がついているのは大きい。
マスゴミも高視聴率が狙える点、及び細川氏の政治思想への共感(あるいは利害の一致)があってか、3大候補者の中でもトップで紹介している。
こういったやり方は、政治関心の薄い有権者を強く惹きつける。
目立つから。
目立つだけで。
小泉劇場や民主党へ政権交代した時と同じ構図が描かれるのではないかと危惧される。
そんな細川氏の公約は「即・原発ゼロ」だ。
小泉氏に言わせれば「東京が原発なしでやるという姿を見せれば、必ず日本を変えることができる」らしい。
しかし、本当にできるのか?
実施こそされなかったものの、昨夏も計画停電のスケジュールが発表された。
太陽光や風力といった自然エネルギーは、現状、原発で得られる電力には程遠い。
結局、火力発電が中心となるわけだが、燃料は国内で入手することはできないため、足元を見られながら中東等から輸入している。
もし何かあって、「ハル・ノート」を再び突きつけられるような事態になれば、日本は干上がってしまうだろう。
「原発ゼロ」を訴える人は、福一の事故以来大きく増えた。
しかし、「原発ゼロ」で日本の電力・経済を支えられる根拠を明確に提示できた人を私は知らない。
今回の小泉氏も、現状では「(もしも)東京が成功すれば」と仮定の話を述べただけだ。
本当に「原発ゼロ」が可能ならば、一部の原発利権者の抵抗はあるだろうがそれを押しのけ、とっくに脱原発がなされているのではないか。
しかし現実には、「脱原発」は意見の一つに過ぎず、実行されるとはとても思えない。
それ程に、現代日本に強く根付いてしまっている難しい問題だと言えるだろう。
口で理想を言うだけならば簡単だ。
しかし、現実にするのは難しいということは、先の民主党政権で国民は皆、身を持って知ったはずだ。
日本人は具体案のない「トラスト・ミー」には懲り懲りなのである。
さて、小泉氏の「トラスト・ミー」は信じられるのだろうか?
一見無理に思えることでも、強いリーダーシップに導かれれば、案外困難な壁は打倒できたりするものだと思う。
そして、強いリーダーシップと言えば、近年の政治家における代表格が小泉氏だ。
だから、そこまで「即・原発ゼロ」を言うなら、小泉氏本人が出馬すればいい。
それを何故、細川氏を前に出し、自分は客寄せパンダに徹しようというのか?
自民党、あるいは息子である進次郎氏への配慮?
単に自信がないからではないのか?
政界から引退した者がご立派に理想論を語っても、鳩山同様に滑稽なだけだ。
細川都知事誕生には、ご遠慮申し上げたい。
陶芸家を持ち出すくらいなら、発明家のドクター中松氏でも大差なかろう。
では、他の候補者はどうだろうか。
かつて大臣を経験し、政治家としての経験・能力に最も秀でているであろう人物が舛添氏だ。
都民が小泉劇場を嫌えば、自民党の推薦も得ている彼が当選する可能性も高い。
しかしこの男、朝鮮飲みをしている…。
朝鮮飲みとは、目上の人への配慮として、コップの飲み口を手で覆い隠すという朝鮮の作法である。
民主党政権の3総理はいずれもこの作法を行っていた。
中でも野田氏は、韓国民団に対し、選挙応援のお礼をしている。
どんな応援があり、どんなお返しをしたのかはさて置くが、外国人が選挙に影響を及ぼすことは日本国民の主権を侵害される恐れがあるため、大きな問題なのである。
舛添は大丈夫なのか?
現在、在日疑惑やら、姉が生活保護やらという話が出ているが、それらもさて置き。
しかし、少なくとも朝鮮飲みをしているという時点で、朝鮮に対して何がしかの配慮を必要とする立場にいるのだろうと推測される。
であれば、彼が知事になった時に何が起こるだろうか?
最も憂慮すべきは、平昌オリンピックへの協力である。
2018年、韓国の平昌にて冬季オリンピックが開催されることが決定している。
しかし、この平昌、何と積雪が少ないらしい。
道路の整備も進んでおらず、開催が危ぶまれているとのこと。
この現状に、2020年の夏季オリンピック開催地が東京に決まったことを受け、日韓が協力して準備しようという話が一部で出ている。
お ・ こ ・ と ・ わ ・ り
である。
東京五輪は韓国からの協力なんぞ必要ないし、韓国への協力は金を毟られるだけだ。
しかし、いつまでも日中韓を一括りにしておきたい、一括りでないといけないと思い込んでいる者も多い。
中国・韓国はもう無視しても構わないんだという「脱東亜論」、日本の新たなグローバリズムの浸透をより早く進める必要性を感じるところだ。
舛添氏は、その障害になりかねない。
本当にそうと断言できるわけではないが、リスクがあることは確かだ。
よって、舛添氏もナシ。
最後に、田母神氏。
彼の場合、政治家としての経験がないことと、失言で自滅しそうなところが大きな難点か。
加えて、他の二人よりも「東京五輪の顔」からかけ離れすぎている感がある。
しかし、元空幕長という経歴は、東京が抱える大災害への不安という面に対しては、期待できる対応能力が抜きん出ている。
マスコミが取り上げることは少ないが、ネット上ではそれなりに支持者もいる。
他の候補者が自滅した時には面白いかもしれない、競馬に例えれば穴人気しそうな人物だ。
以上が、現在までの有力候補である。
やはり、役者が不足していると感じられる。
公示までは残り少ないが、最後まで新たな大物の登場に期待したい。
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