2015年6月30日火曜日

【心理学的に考えた】 「うつは甘え」か?

「うつは甘え」

よく聞くフレーズだが、私はこの考えを100点満点で30点くらいだと思っている。
全くの的外れと言うほどではないが、しかし、正確な認識には程遠い。

今回は鬱病や、人が鬱病を甘えであると考えることについて、認知心理学的に考えてみたい。
(あまり精神医学の方面には突っ込まないので、予めご理解頂きたい)


まず、鬱病患者の心理状態・症状などをいくつか挙げてみよう。

・ やる気がおきない、無気力
・ 落ち込んでいる
・ 食欲不振(あるいは食べ過ぎ)
・ 睡眠障害(寝付けない、夜中に目が覚めて寝直すことができない等)

症状自体は、普通の人でも割りと日常的に起こるものだ。
大抵はこういった症状が2週間続くと、鬱病であると診断される。

しかし、日常的に起こるものであるからこそ、鬱病を過小に評価しがちなのではないだろうか。
これは鬱病患者を甘えているだけだと批判するだけでなく、自分が鬱病であることを自覚できないことにも繋がる。


身内の話だが、私の祖母は夜中に何度も目を覚ましては、トイレに行き、眠れないとソファーに座ってぼけーっとしている。
やがて眠くなったら再び床に就くのだが、1時間もすればまた目を覚ます。これを朝まで繰り返す。
人間は大体90分周期でレム睡眠(浅い眠り)とノンレム睡眠(深い眠り)を繰り返すのだが、祖母の場合はレム睡眠の周期に入る度に目を覚ましている計算だ。

また、祖母の娘である私の母も、睡眠の質は低い。
寝付くのは早いのだが、寝返りを打つごとに目を覚ましていると本人は言っている。
私は一度眠ってしまうと朝まで決して目が覚めないので、ちょっと理解できない感覚である。

祖母も母も、おそらく睡眠障害を患っているのではないかと私は見ている。
しかし、両人とも社会人ではなく、生活に支障はないようなので精神科・心療内科の診察を強く勧めてはいないが。
(軽く提案することはあるが、嫌がる)


wikiの鬱病の頁によれば、日本人が一生の内で鬱病になる確率(生涯有病率)は、6.7%。
世界では3~16%とのことだ。

この数字がどうやって出てきたのかはよくわからないが・・・。
まさか医療機関で鬱病患者の数を調べたり、あるいは「あなたは鬱病になったことがありますか?」などと聞いて回ったわけではあるまいな?
病気になっても医者に行かない人もいるし、自分が病気であるという認識(病識)がない場合も多い。
何より、鬱病の世間的な印象の悪さや、「自分だけは大丈夫だ」という正常性バイアスに影響されて、自力で解決したがる人も多いのではないか。

ともかく、症状の重さや苦しむ期間を別にすれば、鬱病は割りと誰にでも起こりうるものだと考えておいて欲しい。





「うつは甘え」だと批判する人の心理

鬱病の人を甘えだと叩くのは、主にニートや登校拒否などになっているケースではないだろうか。
しかし、例えば会社の同僚が鬱で長期休暇をとったり辞職するなどして、人員に穴が空いて仕事が回らなくなるような場合なら、そのお怒りもごもっともなのだが。
しかし、そうでない場合、または上のような経験をしたことがあったとしても、当人以外の鬱病患者を叩くというのはおかしな行動ではないだろうか?
自分に直接の利害をもたらさない誰かが鬱になろうがどうしようが、自分とは何も関係もないはずなのだ。
何故人は、鬱病患者を悪く言うのだろう?

これは公共財供給共有地の悲劇で説明できる。
簡単に解説すると、みんなが社会のために貢献していればみんなが利益を得ることができるシステムがあった時、何らかのズルをする人間がいれば、やがてそのシステムは破綻してしまう。
人はだまされたり、(コストの面でもリターンの面でも)自分だけが損をするのは嫌なので、ズルをする人間を許せないという話だ。
つまり、自分たちは苦労して働いている(学校に行っている)のに、それをせず遊んでいるニートを見ると、自分が貧乏くじを引いたような気分になり、ニートが羨ましく思えてしまうのだ。
実際は隣の芝が青く見えるだけで、自分たちは労働の対価に給料を得ているし、鬱病ニートからすれば元気に働けている人が羨ましいのではないかと思うのだが。

同じことが、ナマポ(特に、必要もないのに生活保護を受給している人)やアフィ厨などにも当てはまるだろう。
これらは、同時に公正世界仮説の考え方も影響していると考えられる。
公正世界仮説とは、世の中は公正であるという信念のことで、「善良に生きていれば幸福になれる(不幸なことは起こらない)」だとか「悪人にはやがて天罰が下るだろう」といった考え方だ。
現実にはどんなに善良に生きていても、不慮の事故や病気で不幸な結末を迎える確率は悪人と変わらないのだが、そうは考えたくないのだ。
人は不公正な世界を容認出来ない。
だから、善良な自分を差し置いて、怠け者なのに生活に困らないニートやナマポが許せないし、不正受給問題で芸人が干されると気分が良いのだ。





働けない鬱病患者の心理

それでは、そもそも何故、鬱病患者は働かないのかを考えてみよう。

一つには、学習性無力感に陥っているケースが挙げられる。
学習性無力感は、かの有名なパブロフの犬をパクった実験で偶然発見された。
パブロフの場合は、犬に餌を与えると同時にベルを鳴らすことで、「ベルがなれば餌がもらえる」ことを学習させ、やがてベルを鳴らすだけで犬は涎を垂らすという反応を引き出した。
これに対して、学習性無力感の実験では報酬(餌)ではなく罰を与えることにした。
柵に入れた犬を身動きできないよう拘束し、ベルを鳴らすと同時に電気ショックを与えたのだ。
実験者の予想では、これを学習した犬はベルの音を聞いただけで柵の外に逃げ出すようになるはずだった。
しかし実際には、犬は電気ショックから逃げようとせず、ただじっと耐えているだけだったのだ。
これは、何とかして危険を回避しようと考えるのではなく、自分の力ではどうにもならない災難だから我慢してやり過ごそうという風に考えてしまったのである。

鬱病患者もこの犬と同じことが起こっている。
人生の中でそれぞれ何らかの挫折を経験し、努力ではどうにもならないことがあると学習してしまった。
無力感に苛まれ、人生を諦めてしまっている状態なのだ。
何か成功経験でも舞い込んでくれば、この状態を脱却することができるのであろうが。
そもそも無気力なので、成功するための何らかの挑戦をすること自体が難しいのかもしれない。
失敗は自尊心を傷付けるが、自尊心が傷付くということは自己が否定されるということでもある。
失敗することで自尊心が今以上に傷付くのが怖いという不安から、行動すること自体を回避しようとする心理が、ニートや引き篭もりにあるのだろう。



また、人間が行動したり何かを考えたりする時、感情の影響がとても大きいということが関係していると考えられる。
よく、人間がいかに優れた生物であるかを説明する時、大脳新皮質の発達が挙げられる。
脳のこの部位の働きによって、高等な生物は理性的で合理的で分析的で計画的な判断ができる。
しかし、高次の部位である大脳新皮質が行う情報処理には時間がかかっていまう。
一方、下等な生物でも(言い換えれば生物進化の初期の頃から)身に付けている低次の脳は、不合理で感情的で本能的な判断を瞬時に下す。
つまり、よく考えて結論が出るよりも早く、人は直感的に結論を出してしまっているのだ。
例え熟考した結果が直感と違うものだったとしても、直感を無視はできない。
ある程度は(あるいはかなり大きく)感情の影響を受けてしまうのである。

人は労働をしなければいけない、当然のことだ。
憲法にそう書いてあるからではなく、働かないと収入が得られず、生きていけないからだ。
しかし、いざ学校へ行こう、働こう(そのためにまずハロワへ行こう)、となるとこれが中々難しい。
合理的な脳と不合理な脳が葛藤するからだ。
今までニートだったのに社会復帰するとなると、心理的な負担が大きい。
鬱病患者なら激しい動悸やめまい、吐き気などに襲われることだろう。
それだけのコストを支払って、見合うだけのリターンが果たしてあるのだろうか?
合理的な脳は「ある」と判断する、働かなければ死んでしまうが、働けば生きていけるのだ。
しかし不合理な脳は、恐らくリターンを過小評価するだろう。
例えば前述した学習性無力感の影響から、就活に失敗する不安を引き出したり、あるいは勤め先で嫌なことがあった経験を想起させる。
また、現在の社会状況を鑑みて、紹介されるのは低収入の非正規雇用ばかりだと予想し、これでは結局お先真っ暗じゃないかと考えてしまうかもしれない。
得られる保証の少ない(主観によっては全く無いかもしれない)リターンよりも、確実に起こる心理的負担というコストを天秤にかければ、リターンを追求するのは難しくなる。



正常性バイアスも作用しているだろう。
現在は家の中に引き篭もっていても、インターネットで多くの人と交流したり、様々な情報を得ることができる。
そこで自分と同じ鬱でニートの人と交流したり、そういった人が発信したSNSや書き込みを見ることで、「自分と同じような人は他にもいっぱいいるんだ」と安心することができる。
しかしそれは、大津波警報が発令されていたり緊急地震速報が流れている中、「周りの人は避難していないから、自分も避難しなくて大丈夫だろう」と考えるのと同じことだ。



「明日から頑張る」も決まり文句だが、きっと明日も頑張れない。
なぜなら、明日の自分は行動ができる別の誰かではなく、行動できなかった今日の自分の一日後の姿だからだ。
今日の自分がやりたくないことは、明日の自分だってやりたくないのである。





鬱から脱却して社会復帰するためには

どうすれば鬱病を克服できるのだろうか?
メジャーなのは心療内科で投薬治療を受けることだが、これは対処療法的で根本的な解決は難しい。
薬でできるのは、精神状態を安定させたり、眠りやすくしたりすることだけだ。
しかし、ニートや引き篭もりというのは、環境そのものが既に安定してしまっている。
社会との関わりが極めて少なく、刺激に変化がないため、精神状態が安定したところで社会復帰しようという気にはなれない。

ではどうするか?
社会復帰しようという気になるような刺激を受けられる環境に身を置くことだ。

そもそも人間の行動や考え方というものは、自身の周囲を取り巻く環境と自己との相互作用によって生じる。
わかりやすい例を挙げれば、喋るのが大好きな喧しい人間でも、図書館などに行けば黙りこむ。
環境から刺激を受けて、人間はそれに対する反応として行動を起こすのだ。

「うつは甘え」を完全に否定出来ないのは、正にこの点にある。
鬱病は、いざ社会に出てしまえば大抵は改善してしまうものなのだ。
難しいのは社会復帰をするまでと、新しい環境に慣れるまで。
しかし、そこまでの心理的負担はやはり無視できず、最悪ストレスに耐えかねて自殺――となったら目も当てられない。
だから精神科医も、家族や友人・知人も、あるいは鬱病患者自身ですらも、下手に追い込めば逆効果になる可能性を無視できない。

だから私のオススメは、環境を整備するということだ。
もちろん、ニートを家から追い出すような強行手段も、「働かなければいけない環境」に違いはないので全否定はしないが。
できればもっとポジティブで、個性に合致して潜在意識に訴えかけるような方法があればベターだろう。
例えば、沈没する船から色々な国の人を言葉ひとつで海へ飛び込ませるコピペのように。

イギリス人には 「紳士はこういうときに飛び込むものです」
ドイツ人には 「規則では海に飛び込むことになっています」
イタリア人には 「さっき美女が飛び込みました」
アメリカ人には 「海に飛び込んだらヒーローになれますよ」
ロシア人には 「ウオッカのビンが流されてしまいました、今追えば間に合います」
フランス人には 「海に飛び込まないで下さい」
日本人には 「みんなもう飛び込みましたよ」
中国人には 「おいしそうな魚が泳いでますよ」
北朝鮮人には 「今が亡命のチャンスですよ」
大阪人には 「阪神が優勝しましたよ」と伝えた。




参考文献
デイヴィッド・マクレイニー (2011) 思考のトリック 脳があなたをダマす48のやり方 二見書房

【心理学的に考えた】 韓国人は嘘つきか? ~従軍慰安婦・旭日旗問題~

「韓国人は日本人の671倍嘘つきである」

嫌韓ネタを扱っているサイトや本では、よく見かけるフレーズではないだろうか。
671倍の嘘をつく。・・・・・・ちょっと想像ができない。

ある日本人が1つ嘘をつく間に、ある韓国人は671個もの嘘をついているということだろうか?
それではもう韓国人の話には真実を挟む余地がなくなってしまう。

あるいは、日本人は671日に1回嘘をつくのに対し、韓国人は毎日1度嘘をついているという話か?
韓国では毎日がエイプリルフールで、日本では4月1日が2年に1回しか来ない。
エイプリルフールネタを楽しんでいる人たちには物足りなくなりそうだ。

いやいや、量ではなく質的な話かもしれない。
日本人のつく嘘の、671倍強力な嘘を韓国人はつくのだ。
・・・・・・何だそれ?

この話の元ネタは、2000年の日本と韓国における偽証罪の数が基準なのだそうだ。
2000年、韓国では1198人が偽証罪で起訴され、対する日本で起訴されたのは5人。
ここから人口差を考慮して計算すると、「韓国人は日本人の671倍嘘つき」という話ができあがる。
 →http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/3250/noriasa/k2.htm



日本人との比較は置いておくとして。
実際、韓国人のつく嘘の話はよく耳にする。
アイ・アム・ザパニーズ(海外で事件を起こしたら日本人だと名乗れ)」などは、既に嘘をつくことが韓国人の行動パターンに組み込まれてしまっている代表例だろう。

そして、韓国人の嘘として真っ先に思い浮かぶのが、自称・元従軍慰安婦の証言ではないだろうか。

ここで、自称・元従軍慰安婦による、明らかに事実と異なっている証言を挙げていきたい。
・・・・・・挙げていきたいが、面倒なので他にまとめて下さっているサイトなどを各自で探して参照して頂きたい。
拉致された状況やその時の年齢、下手をすれば生まれた年すら(?)間違っていたりするので、いちいち挙げているとキリがない。
終戦後も日本軍の従軍慰安婦をやっていたという証言などは、こっちの心が折れそうになる・・・。


気を取り直して。
私が注目したいのは、「ジープ」や「クリスマス」が出てくる証言だ。
「慰安婦」と合わせてググるとこちらのサイトが上に出てきたので、そこから引用すると。


>↓以下が、キム・ボットンと言う上の写真の右側の
>ニセ慰安婦の証言です。

>-----------------------
>故郷の『朝鮮の村にジープに乗った日本軍』がやってきて誘拐され、 >『日本軍のヘリコプター部隊』の基地に連れていかれ、 >『クリスマス休暇中の日本兵』にコキ使われるなど >『昭和23年まで』解放されませんでした
>日本兵には毎日のようにブーツで』けられるなどイジメられましたが
>日本兵たちは全員『8発も連射できるライフル』を持っているので、
>逃げたくても、とても逃げきれないと思いました。
>『ペニシリンを数週間ごとに』注射されて痛い注射を繰り返しうたれました
---------------------------
>日本軍ではないようニダ 



と、まぁ、ご覧のありさまである。
余りにもデタラメ過ぎて、こんな証言をする自称・元従軍慰安婦の言葉など一切信用できないと考えざるを得ない。
そして、「やっぱり韓国人は嘘つきなんだな」と確信を強めることになる。

それにしても自称・元従軍慰安婦は何故このような、調べたらすぐ分かる嘘をついたのだろうか?
同情さえ引いておけば細部の矛盾は気にせず、鵜呑みにしてくれるとでも考えたのだろうか?(韓国国内ならその通りかもしれない)
何も考えずに思うがまま適当なことを言っただけの、単なる馬鹿なのだろうか?


ここで、自称・元従軍慰安婦の証言を、「本人の記憶」という点に焦点を当て、心理学的に考えてみたい。
結論から言えば、「自称・元従軍慰安婦は嘘をついていない」という可能性があるのだ

――いや、上の例を見ただけでも、自称・元従軍慰安婦が詐欺師であるのは明白だ。
――客観的に考えて、自称・元従軍慰安婦が嘘をついていないなど考えられない。

と、思うだろうか。
しかし、事実と証言が食い違い、客観的に聞けば明らかに嘘だと感じたとしても、当人の主観的には真実である場合もある。

証言の情報源は、証言者自身の記憶だ
しかし、記憶は忘却するその時まで、体験や見聞きした情報を完全・完璧にそのままのカタチで保存できるものではない。
むしろ、容易に書き換えられていくものなのだ。


記憶の書き換えの研究では、何と言ってもLoftusが有名だ。
Loftusは自動車の衝突事故の映像を被験者に見せ、事故を起こした車がどれくらいのスピードを出していたと思うか尋ねた。
この時、Loftusはいくつかの被験者グループに対して、それぞれ異なった質問の仕方をしている。

「激突した時、車のスピードはどれくらいでしたか?」
「衝突した時、車のスピードはどれくらいでしたか?」
「ぶつかった時、車のスピードはどれくらいでしたか?」
「当たった時、車のスピードはどれくらいでしたか?」
「接触した時、車のスピードはどれくらいでしたか?」

すると、衝突の表現をより強い言葉を用いて質問されたグループほど、事故を起こした時のスピードが速かったと答える傾向にあった。
更に、「ガラスが割れるのを見ましたか?」と尋ねられると、「激突した」と表現されたグループは、「見た」と答える割合が他のグループの2倍になった。
しかし、実際に被験者が見た映像では、ガラスは割れていなかったのだ。

これ以外にもLoftusは質問時に用いた表現から受ける印象や、または誤った情報を与えることなどによって、人の記憶を書き換えることに成功している。
そして心理学の研究では、記憶が書き換えられるケースが他にいくつも見つかっているのだ。

・ 細部を忘却していたり所々忘れている部分がある時、また他人に説明することが難しいことなどを話す場合、他の記憶や知識などで補って、無意識に納得できるストーリーを作り上げる【作話】
・ 言われてみれば当然だという話は、話を聞く前から知っていてたと思い込む【後知恵バイアス】
・ 固定観念や対象について抱いている印象(偏見)などに影響されて、それに関する記憶が書き換えられる
・ 注目していない情報は記憶に残らず、注意によって記憶は編集される
・ 過去の態度や行動が、現在のものと一貫して同じだったように考える【一貫性バイアス】



それでは、自称・元従軍慰安婦が「ジープで拉致された」という証言について、心理学的に考えてみよう。

Q:拉致をした車は本当にジープだったのか?
 →軍隊の車というとジープが連想されやすい。しかし、旧日本軍はジープを使っていない。

Q:拉致されたのは本当に太平洋戦争の時だったのか?
 →朝鮮戦争やベトナム戦争の時ならば、ジープを使う軍隊がいたかもしれない。慰安婦という言葉は、旧日本軍との結び付きが強いため、実際は他の軍の慰安婦だったのを勘違いしているのかもしれない。

Q:そもそも本当に従軍していたのか?
 →韓国に限った話でもないが、貧しい家庭の女性が売春婦になることは多かっただろう(韓国は今でも多いようだが)。自分の売春婦としてのストーリーに、旧日本軍に強制連行された従軍慰安婦のストーリーを合体させてしまったのではないか?

Q:根本的な話として、売春はしていたの?
 →そこから間違っていたのだとしたら、心理学の手には負えない。精神医学へどうぞ。


自称・元従軍慰安婦の証言を、日本が物証や状況証拠を用いて反論するとき。
韓国人は「被害者本人が言っているんだから間違いないニダ!」と言い返す。
しかし、被害者当人であろうが加害者であろうが、あるいは第三者であろうが、証言の情報源が記憶である以上、絶対的な信用を置くことはできないのだ。
ただし、自称・元従軍慰安婦の証言が事実と食い違う間違いだらけだったからといって、それで自称・元従軍慰安婦=詐欺師だと断言することもできない。
同時に、証言のほとんどがデタラメだということが、証言全てが間違っている証明にもならない。

結局、自称・元従軍慰安婦の証言に対して、確実に言えることはただひとつ。
証言は、アテにならないのだ。




一方その頃、韓国人は民族総出で新たな記憶の改竄に乗り出していた。
旭日旗問題である。

旭日旗は大日本帝国が使用した軍旗であり、それはつまり軍国主義の象徴であり、ナチスのハーケンクロイツと同等のもので、韓国人は見るだけで不快な想いをする。
だから旭日旗のデザインは使用してはいけないと、日本や韓国国内、更に欧米にまで働きかけている。

根本的な突っ込みどころとして、旭日旗が軍旗なら、ハーケンクロイツはナチス党の党旗だ。
ナチス・ドイツの軍旗は黒十字で、当時国防軍が使用していたが、これはプロイセンの時代から現在に至るまで使われている。
日本で、ドイツにおけるナチス党に対応するものは何だろう・・・大政翼賛会?(よく知らないが)
そもそもぽっと出のヒトラーが独裁していたナチス・ドイツと、1500年かそれ以上の歴史がある天皇家が君臨してきた日本とでは、全く事情が違うと思うのだが。

と、まぁ、ボロがいっぱい出てくるので呆れるばかりだが、それもそのはず。
韓国人の旭日旗アレルギーは、ホンの数年前に、しかも言い逃れのためにでっち上げられたものである可能性が極めて高い。

旭日旗問題の流れはこうだ。

2011年、サッカーのアジアカップで行われた日韓戦で、ゴールを決めたキ・ソンヨンがスタンドに向かって猿の真似をするパフォーマンス(日本人は猿だという人種差別)


問題視されたことで、「旭日旗を見てカッとなってやった」と言い逃れ。
ただし会場に旭日旗は確認できず、試合会場までの道中で見たのか、そもそも本当にどこかで旭日旗を見たのか、見たとして本当にカッとなったのかは不明。本人ですら、もう分からないかもしれない。



2012年、同じくサッカー日韓戦、ロンドン五輪3位決定戦にて。
試合に勝利した韓国選手のパク・ジョンウが「独島は我が領土」とハングルで書かれたプレートを掲げて走る。
オリンピックで政治問題を主張することはタブーなので騒動に。

韓国、「日本も旭日旗やそのデザインを使っている、あれは政治的主張ではないニカ!?」と主張。

旭日旗狩りへ・・・


おそらく彼らの頭の中では、「昔から旭日旗を見ると気分が悪かったニダ!」というストーリーが出来上がっているのだろう。
それが本当なら、少なくとも韓国国内には旭日デザインを用いたものは無さそうなものだが。
このほど、韓国釜山市民公園にある歴史館の天井が旭日旗デザインだったため、変更することになったらしい(http://www.wara2ch.com/archives/8231376.html)。
調べたところ、公園自体はほんの1年前につくられたばかりとのこと。
時系列を見れば、韓国の旭日旗アレルギーは明らかに旧日本軍とは関係ない。
しかし、自分たちが納得できるストーリーを組み立てるために、彼らはいつだって必死である。

ストーリーを作るのが好きな割りには、ノーベル文学賞を取れないのが不思議だ。
いや逆に、こんな矛盾にあふれたストーリーばかり作っているから、永遠に手が届かないのかもしれない。


参考文献
デイヴィッド・マクレイニー (2011) 思考のトリック 脳があなたをダマす48のやり方 二見書房